WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう

The Story of PUREDISTANCE 2002-2022

まえがき: 日本語版連載あいさつ

本日より、ピュアディスタンス創業20周年記念ストーリーブック「The Story of PUREDISTANCE 2002-2022」の日本語訳を、チャプター毎に掲載いたします。

いかにして創業者ヤン・エワウト・フォスがピュアディスタンスを興し、Magnificent XIIが誕生するか、その20年の歴史をお楽しみください。

文章のみのシンプルな構成で綴っていきますので、是非ストーリーブックと併せてお楽しみください。Indexでお読みになりたいチャプターへジャンプします。Indexとチャプターは随時追加更新し、2022年10月中旬までに全チャプターをお読みいただけます。

2022.9.28 ヤン・エワウト・フォス60歳の誕生日を祝して
ピュアディスタンスジャパン

Index


‘Less is More’ – 削ぎ落してこそ、豊か –


Introduction: 誰が、なぜ、どこで、何を

あなたがこの本を読んでいるということは、既にピュアディスタンスというブランドを知っていて、ヤン・エワウト・フォスという名前にも馴染みがあり、ピュアディスタンスの香水のひとつかふたつは試してみたことがあるってことよね。

この本を読んでいるというくらいだから、もっともっと知りたいのよね。12種類の香水について、それぞれがどのように誕生してきたのか、アイデアから、イメージから、おそらく会話の中から、ひとつの香水がどうやって姿を現したのか。香水に関わる人々についても興味があるでしょ。アーティスト、製作者たち、考案者たち、デザイナーたち。

この本を読んでいるということは、香水はあなたが愛してやまないものであり、自己表現のすべであり、目には見えないけど毎日身に纏う宝物なのよね。纏うことで自分だけじゃなく、近しいお友達にも楽しんでもらえるものだから。

この本を読んでいるということは、あなたと私は似た者同士ってことよ。この厳しい世界で私たちは美を探し求めてる。私たちの魂を豊かにしてくれる一瞬のきらめき、ヒント、ひと吹き、そんな’美‘をね。ほんの一瞬でもいい。香水とは、何の疑いもない場所で美を見つけ出すひとつの方法。姿も見えない、つかの間の、それでいて個人的、あっという間に消えてしまうものだとしても。

そう、私たちって探究者なのよ。そんな私たちにピュアディスタンスは純粋な美を提供してくれる。

ピュアディスタンスは私が知っているどんな香水会社とも、かけ離れている存在だわ。ヤン・エワウト・フォス氏とそのチームが生み出した努力の賜物。オランダの小さな教会で、少ない人数の戦士たちが頑張っているの。いわゆる最高級と名高い香水が闊歩している場所とは程遠い場所でね。

オランダは社会主義国*であり、知的で、とてもリベラルで自由な国だけど、有名な高級品は?となると頭に浮かばない。パリやフィレンツェと違い、オランダ北部の小さな街、フローニンゲンにはグラマラスなオーラもないし、とにかく現実主義そのものの国よね。*訳注:オランダは王国です。

でも、ヤン・エワウト・フォスはメインストリームなんか全然興味がないの。みんながすでにやってることや狙ってることなんかどうでもいい。人生のある地点で、彼は自問したわ。自分や周りの人たちをハッピーにするために、僕は何がやりたいんだ?金儲けだけじゃなく、どういうふうに自分の財産を投資したいんだ?彼は長く残るものを生み出したかったの。みんなを幸せにして、芸術的で美しくありながらも、ちゃんと使えるものを。

贅沢産業には決して手を出さず、香水だけを特化させる。まさしくそれは彼が統治しようとしていた完全に未知の分野だった。彼の哲学―この本でも何回も目にすると思うけどーは、常に‘Small is beautiful’(最小こそ、最大の美)。この確信を基盤に、芸術方面に長けた目利きの人々だけでなく、香水が大好きで自分の世界に喜んで取り込んでくれる人々をも喜ばせるため、小さいながらもしっかり構成された会社が放つアイデアを実現化してくれる人材を彼は探し始めたの。

ヤン・エワウトと彼のチームはそうした彼らの旅を書き記せる本が出せたら、と思いを巡らせていたそうよ。20年に渡る業績と貢献を振り返られるもの。貴重な思い出を大切にしまいながら、またそこから記憶を蘇らせる道具を。ね、みなさん。私たち、楽屋裏からこっそり覗かせてもらっているのよ。ヤン・エワウトの歴史を通して、会社の誕生、それぞれの香水にまつわる秘話。最終利益だけが大事なほとんどの企業とは一線を引いている、彼らならではの地道な作業。

じゃあ、私は誰かって?どうして私がピュアディスタンス物語の道案内をするわけ?

2011年、初めてピュアディスタンスに遭遇したの。まだ、ピュアディスタンス1が発表されたばかりの頃ね。当時、‘オルファクトリアズ・トラヴェルズ’という名のブログで、年代別に個人的な香水への偏愛を綴っていたの。その旅を’パフュームランド‘と呼んでいたわ。

そこで、ピュアディスタンス1について書いたレビューを、ヤン・エワウトが見つけて読んで、すごく気に入ってくれたのね。それでもっと色々話がしたいって彼からコンタクトしてきたの。私が住むオーストリアのウィーンに彼が来てくれて、初対面なのに数時間香水について話し合ったわ。いまだに実際のところは良くわからなかったけど、数年後、彼から執筆の依頼があって、こうなったということ。

そんなこと私にできるの?いいや、できるわけがない。正直言って、プロのライターが書いたらもっと洗練された素晴らしい別物ができるはず。と思ったのもつかの間、自分自身を疑いながら仕事もうわのそらみたいに時間を無駄にするより、いいから書いちゃえ!って、始めていた。でもプロのライターにないものは何か知ってる?情熱よ。そして興奮。熱く燃える炎。香水たるもの、こうあるべきと言わんばかりの要素をすべて包み込んでいる傑作の数々を、プロの方々が愛を込めて紹介できるかしら。製造やデザイン、一般的なマーケティングやディストリビューションに至るまで細心の注意が払われている最高傑作を。

ピュアディスタンス、生み出された香水、会社そのものについて書いてみようと後押ししてくれたもの、それはそこにある情熱と哲学を私は誰よりも理解しているという確信だったの。

執筆の過程でヤン・エワウトという人物をより理解する機会に恵まれたわ。彼の哲学や生き方には共鳴できるものがある。ある意味、私たちは同類なんだけど、私なんかまだまだ、彼はまさしく人生の先輩なのよね。

著者:ビルギット・エッカー

独自のブログ、’オルファクトリアルズ・トラベルズ‘で5年間香水について執筆。自称調香師であり、生粋の怠け者、偶然ライターに。夫と二人の息子とウィーン在住。 

1 ROOTS (ルーツ)

ピュアディスタンスの成り立ちの旅へと探究を始めるには、避けて通れない決定的な場所がある。創設者、ヤン・エワウト・フォスだ。ピュアディスタンスを定義づけた、現在の彼にならしめた彼の個人的な歴史、家族、生い立ち、成長の過程を振り返ってみよう。

フリーダ・アントニア・ブルインとウィルヘルム・フォスの長男として、ヤン・エワウトは1962年9月28日、オランダのリーワルデンに誕生している。ペトラとアナ・モニークというふたりの妹がいる。フォス家は裕福ではなかったが、経済的には安定していたので、そうした環境に彼は常に心から感謝をしていた。「私はとても恵まれていたんだ。」多くの人々が生きていく上でぶつかる困難に、あまり悩まされなくて済んだのはかなりラッキーなことだと彼はしっかり気づいていた。彼の両親は幼少の頃からただ成功するためではなく、満足できるよう一生懸命働くことを子供たちに叩き込んでいた。自分に与えられたものを最大限に生かすよう、口で言う前に経験から学ぶようにしていた。安全で安定した社会で、母親から受け継いだ限りないエネルギー因子を持って成長できたのは幸いだったと彼は言う。

もちろん、すべてが順調にいったわけではない。「問題ひとつない道なんて、どこにもないさ。」しかし、いい経験も辛い経験も、人生にとっては素晴らしい糧となる。

ヤン・エワウトの母、フリーダ・アントニアは論争好きな女性だった。エネルギッシュ、ドラマティック、情熱的、クリエイティヴ、才能があり、カリスマ性を備えていたものの、人生のある面においてはとても不幸な女性だった。持ち合わせているものは無視して、実際手にしていないものにどっぷり執着してしまうこともあった。浪費家で、スタイリッシュ、独自の濃厚な美的感覚を最大限に生かした正装をしてみたり。かつては世界を旅したこともあったが、オランダの片田舎で小さな子供3人を抱えて生活している自分こそ現実なのだと、我に返るのだった。

そうした矛盾は徐々に彼女を壊し始めた。ネガティブな思いから逃げるかのように、彼女は常に忙しく動き回った。バレー教室で教え、自宅の屋根裏で数えきれないほどの手芸作品を作った。絵も描き、宝石も作り、革製品も手掛けた。まるで疲れ知らずだ。最新のファッションを盛り込んだ突飛な帽子を被るもの大好きだった。彼女にとって最も重要なのは最高に’イケてる‘ことだった。彼女が目をつけた人々は,みな彼女に魅了されたものだ。

問題があれは必ず巧みに言い逃れもできる。人生でただ一度、交通違反で罰金を払わなくてはならなかった事以外は。彼女は人をおだてる才能にも長けていた。裏を返せば、人を挑発し火に油を注ぎ、あえて問題を誘発することもあった。

フリーダ・アントニアは1937年1月25日、ハーグ近郊の小さな町フールブルフにに生まれている。両親は愛情深く彼女を育てたが、特に父親を通しては厳しい躾を受けている。大きな庭のある、心地よい家で彼女は育った。かなりのおてんば娘で、常にスポーティ、冒険好き、木という木はすべて登り、男の子たちとフットボールを楽しむ、良い学生だった。その一方で、彼女はより特定の趣味に走っていった。バレーだ。かなり上手に踊れたので、彼女はもっと勉強したかったが、キャリアとして不安定で生活もできないような仕事は自分の娘には相応しくないと、父親から一喝され禁止されてしまったのだ。そして彼女はとてもエレガントで美しい女性へと成長していったが、その女性らしさには常に肉体的強靭さが同伴していた。おてんば娘は健在だったのだ。学校を卒業すると、フリーダ・アントニアは安定はしているものの、平らでつまらないオランダから飛び出して、見分を広めるために世界を見て回りたいと思い始めた。20歳の時、新聞の広告を通して3日前に知り合ったばかりのオランダ男性3人とニューヨーク行の船に乗り、彼女は旅を始めている。ニューヨークからカナダに渡り、しばらくの間、オ・ペアとして働いている。その後行ったバハマでは、ホテルで働いてもいる。2年後、アメリカから帰国した彼女を港に迎えにきた両親は、髪をブロンドに染め、赤い口紅にマニキュアをして最高におしゃれな衣服に身を包んだ洗練された女性が、我が子だとは気づかなかったという。数年前に世界征服に飛び出していったおてんば娘の面影はもうどこにもなかった。

フリーダ・アントニアの父、ランベルタス・ブルイン、ヤン・エワルトの祖父は、とても厳しい環境下の孤児院で育っている。そこで暮らす子供たちは成長過程で注がれるべき愛情も何もなく、粗末な食糧と服で生きるしかなかった。その当時の話をヤンエワウトは祖母からよく聞かされ覚えているという。ある日、孤児院に州の監査官がやって来た。年に一度、その日だけは、子供たちは満足のいく食事を得られるのだ。子供たちの列に沿って監査官が進んでいくと、ランベルタスは勇敢にも列から飛び出し、いつも与えられている最悪な食べ物を差し出した。この目的のために、彼はハンカチに包んでポケットに潜めていたのだ。これだけは言っておくが、この日だけではなく、この監査官は前から祖父が嫌いだったようだ!やがて彼は15歳で孤児院から追い出されてしまった。ひとりきりでランベルタスは働き始めた。石炭掘削船や、鉄鋼産業、生きていくために、どんな卑しい仕事でも彼はこなしていった。24時間働きずめでも、彼は自ら様々な学習コースに通った。そして大胆にも、20歳で自分自身の会社を立ち上げている。鉄鋼産業での経験を活かし、銀食器の製造から始め、ビジネスは最初から好調に稼働していった。パイオニア精神に長け、自力で出世を目指し、想像力を活かしながら豪華なアールデコ様式の銀食器や様々な商品を発明し、生涯を通して大成功を収めていった。フリーダ・アントニアは、彼から大きな影響を受けている。クリエイティブな面と、怖いもの知らずな気質は明らかに父譲りのものだ。

フリーダ・アントニアはハーグの住宅街で、12歳年上のウィルヘリウム・’ウィム’フォスと出会っている。オランダを超えて世界を旅してきたという共通の経験で彼らは結ばれていた。当時の一般的’オランダ人‘の枠からは、ふたりともかけ離れていると感じていたのだ。冒険家ゆえに、他とは違う、よりグラマラスな生活を彼らは望んでいた。彼は美と魅惑的なものを、彼女は安定と彼女独自の途方もない言動を包み込んでくれる包容力を求めていた。アントニアを妻にするということは、究極の反乱だった。ウィムいわく、「やったよ!自分らしく」

1926年生まれのウィルヘリウム・フォスは商品を世界展開する、オランダの乳製品会社で働いていた。彼は6人きょうだいの末っ子で、厳しい環境で育っている。彼の父(ヤン・エワウトの祖父)は牧師で、厳しく誇り高い男性だったが、プロテスタント教会にとっても彼は厳しすぎ、教会の規則さえ無視したため、後に破門されている。宗教と付随する頑固さはウィムの人生において大事な意味をもっていたが、徐々に自由への渇望が芽生え始め、息苦しい因習や環境から離れ自分らしく生きたいと思うようになっていった。まずは学校でしっかり学び、乳製品会社に勤めると、コンデンス粉ミルクの販売を手掛けていった。第二次大戦後、出張で彼は世界を旅するようになる。アフリカ、南米、ヨーロッパ中の市場調査に飛び回ったのだ。

セールスマンとして成功した結果、かなり若いうちに彼は乳製品会社の取締役になっている。両親やきょうだいのために家を買い、同時に自分自身の自由も勝ち得ていった。

フリーダ・アントニアと出会った時、彼は36歳だった。18年間連れ添い、1979年に離婚している。この結婚は最初から危険を孕んでいた。世界中を旅し、冒険好きなふたりでも、個性も人生の価値観もかなりの差異があったからだ。ふたりの理想も、求めていたゴールもかけ離れたものになってしまった。ウィルヘリウムは内向的で辛抱強く、なんでも受け入れ寛容だった。彼には自分自身の時間が必要であり、平穏さを大事にしたい人間だった。一方、フリーダ・アントニアはかなり外交的で、我儘、仕切りたがり、時に狭量で、刺激を求め、人生をとにかくパンパンにエンジョイしたくてたまらない女性だった。彼女は褒められるのが大好きで、とにかく注目を引きたがった。そんなふたりが耐えらるはずもなく、それぞれの道を行く決心をすることになる。両親が離婚した時、ヤン・エワウトは17歳だった。2年後、母親は彼と当時16歳の妹を残し、もうひとりの妹を連れて再婚、国の反対側に去ってしまった。突然、何の心配もいらない彼の青春が終わってしまったかのようだった。ヤン・エワウトは急いで成長するしかなかった。

2 ENTREPRENEUR(起業家)

地元高校でのヤン・エワウトの教育は、寛容さを最も重んじる実にオープンでリベラルなものだった。選択科目に哲学があり、選べたこと自体、彼は今でも感謝している。歴代の哲学者たちの思想をかじったことが、現在の彼の思考回路とその発展を形成しているからだ。それと同時に、かなりのハイレベルで彼はテニスを通して肉体的、精神的思考方法を向上させていった。15歳でプロを目指してトレーニングを始めないかと誘われたものの、後に世界屈指のプレイヤーとなるアンリ・レコンテとの大事な試合に負けた後、彼は決してトップ10には入れないと自覚することになる。せっかくの誘いを断り、より視野を広げようと彼は努力していった。しかし、今に至るまでテニスは彼が情熱を捧げるもののひとつとして残っている。

学生時代、ヤン・エワウトは知的、かつ様々な方法で両親に干渉されることなく、自己管理法を身につけていった。やるべきことを決して先延ばしにしない、宿題はきっちり熱心に仕上げる優秀な学生だった。その一方で、陽だまりに寝そべって空を見たり、草の匂いに包まれてリラックスするために、授業をさぼったりもしていた。同じことをしたら勉強についていけない子たちが大変なことになるので、模範になれるよう、そういうことはやめてくれないかと校長に頼まれれば、あっさりと従っている。個人的な自由と社会貢献とのバランスは、すでに彼には備わっていた。オランダ教育にとって、自由と寛容は重要な原理だ。当然、ヤン・エワウトにとっても同じだった。自分らしい道を選ぶことこそ必要不可欠だったが、後に起業家となっていくのも明らかで、理にかなっていた。

「考えるまでもないさ。」オランダ人であるということは世界に対して非常にオープンで、他国の言語を学び、外へ外へと向かっていくことなのだ。オランダのように小さな国では、偏屈だったり傲慢ではいようがないわけだ。しかし、外向きの姿勢には実用本位の理由がちゃんと存在する。その途上、さらに金儲けができるのだから。経済的必要から、開放性は欠かせないものだった。一般的なオランダ人、特にヤン・エワウトにとっては。

高校を卒業すると、彼は休息が取りたくなった。友達の多くが大学に進学したが、どうしてもじっくり座ってまた勉強する気にはなれなかった。広い世の中を見てみたかったのだ。まず、彼はテニス・コーチになるコースを選択している。彼の人生において、テニスが占める割合はかなりのものだが、スポーツ全般に彼は熟達していた。テニス・コーチの資格を手に、彼はイタリアに渡り、シシリー島、パレルモで生活を始め、昼間はテニス・コーチとして、夜はDJとして働いた。あっという間にイタリア人の働き方を身に着け、地中海式リラックス・ライフ、’ドルチェ・ヴィータ’(甘い生活)を楽しんだ。バゲリーア近郊のゼガレラ・ホテルやシー・パレスでも働いたが、当時ここはマフィアに深く関わっていたエリアだ。

「面白い時代だったよ。」と彼は微笑んだが、それ以外は何も話してはくれなかった。

6ヶ月後、オランダに帰国すると、彼はハーグのホテル経営学校に通い始める。しかし、1年でドロップアウト。内容が全く彼には合っていなかったのだ。

そして首都アムステルダムに向かい、今度は作家を目指して大学の英語コースに編入する。が、これも本当に自分が望んでいたものではなかったと気づく。

いくつかの失敗を重ね、20歳になる頃には何をやれば面白くてハッピーになれるのか、もっといいアイデアが浮かんでいた。最愛のテニスを再度武器に、プルト・ライゼンという旅行会社を立ち上げたのだ。子供向けのサマーキャンプが売りで、テニスやサーフイン、他のスポーツも学べる楽しいコースだった。最初の夏は大成功だった。400人以上の子供たちが参加し、25人のコーチを雇っている。まさしく大成功で、子供たちはあまりに楽しすぎて終了時には帰りたくないと泣くくらいだった。ついにヤン・エワウトは心底愛せる仕事を見つけたのだ。続く10年、彼の会社はとても好調だった。会社は更に拡張、大人向けテニス、ゴルフ・ホリデーの第一人者となっていった。しかし、じきに彼は飽きてしまった。

もっと新しい挑戦がしたい。これじゃ先が予測できる人生になってしまう。その後、自由を求めて前進するために、彼は部下に会社を売っている。自分が満足できる、もう一度挑戦できるクリエイティヴなマーケットを求めて。

最初の努力で、趣味だったテニスをキャリアに変えてしまったが、次も何か似たような冒険がいい。彼は昔から、いつも熱心に写真(世界に目が向くよ!)を撮り続けていた。この情熱を仕事にすることは理にかなった次の段階だった。彼は常にものの構成やデザインに注視していたという。特に旅行中に写真を撮るのが大好きだった。

同じ時期にささやかなコンピューター・プログラム、フォトショップが登場し、彼は大いに実験を楽しんだ。やがて、著作権料なしで、デザイン会社や雑誌などにデジタル写真を提供するジョン・フォックス・イメージズを設立。ジョン・フォックスはヤン・フォスの英語読みである。

当時、著作権料なしの写真をCD-ROMに載せることは珍しいことであり(スライドにしたものよね。ミレニアル世代はとっくに失ってしまったのね…)、世界的にもこのサービスを提供しているのはゲッティ・イメージのフォトディスク(そこならミレニアル世代を取り戻せるかも?)と、ビル・ゲイツが運営するコービスだけだった。ヤン・エワウトは実にうまく稼働させ、すぐに3人の社員を雇っている。ジョン・フォックス・イメージズは常にコービス相手に、ダヴィデとゴリテア(カラヴァッジョの絵画、’ゴリテアの頭を持つダヴィデ‘引用)状態だった。最初、ビル・ゲイツはジョン・フォックスを相手にもしていなかった。かたや、たった3人の従業員と著作権料なしの面白い雑誌を年に2冊出しているのに、コービスは何百人もの従業員を抱えながら、1冊しか出していなかった。こんな小さな会社が、天下のビル・ゲイツを慌てさせられるなんて、ヤン・エワウトにとってこの上なく愉快だった。続く8年、会社は大成功を収めた。この間に発生した目を見張るようなテクノロジーの進歩は、ビジネスの根幹をすっかり変えてしまった。デジタル化とインターネットには相当な分解修理が必要で、時代の変化に追いついていくのは必須だった。もうこれ以上楽しめない。製作面でも金銭面でも、想像力が失われてしまう。もう一度、新しい方向に向かう時が来た。その後、まずまずの価格でイギリスの会社に売却。ジョン・フォックスは捨て、個人的な自由を大切にしたいと覚悟した彼は、15%引きの売値でも受け入れたのだ。ちょうど春だったので、会社に留まって誰かのために働き続けるより、テニス・コートに出よう、そう思ったからだ。

写真の世界で仕事をしていた時期、ヤン・エワウトはオランダ女性、ヤネッテと恋に落ち、二人の娘、イリスとタマラをもうけている。ヨチヨチ歩きの女の子たちを連れ、彼は世界を旅した。写真を撮りながら、海外の文化や食べ物、ライフスタイルに浸っていった。一家4人で世界中を旅した素晴らしい歳月だった。

ジョン・フォックス売却後、彼は人生を楽しみ、あえて働かず、次の計画を練っていた。会社を売ったので金銭的にはかなり余裕があり、その結果、富との関係を考えるようになっていった。彼にとってただ金を儲けるだけ、というのは本意ではなかった。楽しむことなく働くのも違う。彼にとって金とは自由になることであり、ハッピーになり、それを拡散していくことなのだ。彼はいつも自らの幸運を何倍にも増やし、他に与えることで満ち足りた気持ちになる。やっとみなにプレゼントが買えるようになったのが嬉しい。母親に車を、パートナーのヤネッテにも1台、そして自分自身にはダーク・ブルーのフェラーリを。どこにでも彼はフェラーリを飛ばしていった。ステイタス・シンボルではなく、普通の乗り物として乗り回すのがとても楽しかった。後部座席の子供たちも大はしゃぎだった。友達にも気軽に貸してあげた。人生と幸運を心から謳歌したものだ。決して執着したり、ケチケチすることはなかった。彼にとって金と富とは自由と幸福を探求することだった。一瞬の幸福ではなく、心からの満足感に包まれる。そうすれば、たとえ分け合っても富は減らないものなのだ。

しかし、当時、すべてが理想的だったわけではない。愛犬ギャッバーが殺されるなど、酷い出来事も起きている。更に悪いことに、ゆっくりと、だが確実にヤネッテとの関係が冷え始め、別れることになる。一見強固に見えた彼の基盤が崩れ始めた。エゴが炸裂し、深い危機を迎えてしまう。そして彼の母、フリーダ・アントニアが癌と診断された4か月後、2001年に他界。母の死後、忘れようと思っていた子供時代の辛い思い出が彼を襲ったが、抗わずになんとか乗り越えている。フェンデルクライスやクリシュナ的な精神療法、仏教の瞑想的要素もいつくか経験している。ゆっくりと対外的動向を変えていくと、心のもちようも変えていけるようになったのだ。とにかく休むことにし、何かを達成しようとはしないことにした。例えばフェンデルクライスの運動は身体を健康に保つことで、より簡単に心の問題を解決できるようになる。

不幸によってもたらされた変化。すべての発展と成長には苦悩がつきものだ。逃げるのではなく、受け入れて、どうにか向き合っていく。仏教の智慧では、すべてが受け入れられ同等に評価される。善悪で判断するのではなく、重要か不要かでもなく。こうした哲学や修練を通して、エゴがいかに危険であるかヤン・エワウトは気づいた。何が自分に悪い影響を与えているが意識することが、最も重要なことだと。彼は自分自身のエゴに対処できるようになっていった。もう一度、バランスこそ鍵だと、彼は気づいたのだ。とにかく彼はインプットされるものをコントロールした。偽物の友達、セレブリティ、ソーシャルメディアなんかいらない。現実の世界にいる、本物の人たちと長々とおしゃべりしたり、庭いじりをしたり、競争目的ではなく、ただ心から楽しむためにテニスをしたりして魂を豊かにする。

世界は休む暇もなく凄い勢いで押し寄せてくる。大声で、より速く、さらに高く、ヤン・エワウトの心が求めている静けさ、時空を超えた、完璧な美、もっと、もっと、もっとと願わなくてもそこにある素敵なものとは対照的な、この世界。この時期にヤン・エワウトの心で形成されていったひとつのアイデア。何かしっかり耐えられるものを創造すること。恒久的な美、誰とも何とも競う必要のない、幸せに繋がるもの、完璧に近い何かを。せかせかと金持ちになるために、消費され、使い捨てにされるために世界中で行われているレースには一切関係ない何か。

抜け目のない読者なら、うすうす感じているだろう。それがピュアディスタンス。まだ名前もない、形もないが、ヤン・エワウトの心の中ではひとつのアイデア、コンセプトとして完成していた。まだ夢に過ぎなかった。しかし、やがてはかなうはず。

そう、そして、実現する。

3 HOW TO BUILD A PERFUME HOUSE(香水会社の作り方)

最新のアイデアを胸に、ヤン・エワウトは可能性を探し始めた。飾らないほど美しい、ゆっくりでも確実に、恒久的な美を現実化するにはどうすればいいのか。当時、彼はココ・シャネルの自伝を読んでいた。人としてどうだったかはさておき、彼女は後々まで残る素晴らしいものを生み出している。時空を超えた傑作、シャネル№5。この概念が彼の頭から離れなかった。一度美しいものが作れたら、それはずっと変わらない。完璧なものを作れば、完璧なままだ。あまりにせわしなく動いている世界において、平和と静寂の源となる普遍的な美とはどういうものか。
彼の頭の中にはそれがどんな意味を持つのか、はっきりとしたヴィジョンが出来上がっていた。時代が変わろうとしている時、賑やかなパーティが開かれているとしよう。大音量の音楽、ぶつかり合いながら、踊り、酒を飲む人々。バカ笑い、カオス、成金ども、金には不自由しないが最悪のセンス。そこにシンプルだがおしゃれな白いドレスを纏った優雅な女性が入ってくる。彼女が醸し出すオーラは静かで純粋。周囲の大混乱など全く無縁だ。理不尽なメンタリティ、何をするにも俗悪でやり過ぎな成金どもが、急に静まりかえる。彼女こそ、彼らにとってのアンチテーゼ。洗練され、優雅で穏やか。控え目だがオープン。ただ美しい。その純潔さには自然と近寄りがたい距離がある:ピュアディスタンスが。

だから、香水。ヤン・エワウトは自分に正直だった。それほど馴染みのある存在でもなかったのに。20代始めからお気に入りの香りとして、シャネルのアンテウスは使用していたが、特に興味の対象ではなかった。そこで彼は勉強を始めた。数々の本を読み、eBayでヴィンテージものの香水を競り落とし、1910年代、20年代、30年代ものを集めていった。初めてラリックのボトルに触れると、えもいわれぬ幸福感に満たされた。香水って楽しいかも!

基本的にヴィジュアル人間なので(香水自体、何も知らなかったし)、彼は抱いている夢の視覚方面から始めることにした。ピュアディスタンスにとって、ボトルこそまず最初に命を吹き込むべきものだった。未来の香水を思い描く時、どんな容器に入れて世界に紹介するかも、同等に重要なことだった。香水ははかなく、目にも見えず、空気のようなものだ。だからこそ、外の世界と相互作用を起こすために物理的なスペースが必要だった。最適な光の中に置き、輝かせなくては。常にデザインに注視し、銀食器職人だった母方の祖父の影響を強く受けていたヤン・エワウトは、ユーゲントシュテイル(ドイツ語圏、世紀末美術の傾向)やウィーン工房といったアール・デコ様式が好きだった。そこで、以前いくつかの香水会社と仕事をしたことのある、オランダ唯一の産業デザイナー、サンダー・シノにコンタクトした。黄金の液体が入った瓶が中に差し込まれているクリスタルの円柱。そんなボトルはどうだろうかと。高級ヨットのデザイン、製作で大成しているサンダーは本能的に彼が妥協のない美を追い求めていることを察知した。

サンダー・シノは、ピュアディスタンス・ボトルのプロトタイプを制作することになった。最初からアイデアははっきりしていた。透明な容器、その中に直線的でも多面性のある、シンプルで洗練され、優雅で、恒久的かつ完璧な液体を入れる。最高級品。最初のアイデアから完結に至るまでは、長い道のりだった。ヤンが思い描いているようなものを作れるガラス製造会社は皆無だった。フラコンをスムーズに挿入できる、クリスタル製の容器だなんて。香水を使い終わってもフラコンは捨てない。詰替えができるということも、ヤン・エワウトにとって重要だった。
彼は世界中の一流ガラス製造会社に打診してみたが、一様にそんな形をガラスで作るなんて不可能だというのが回答だった。ついに著名な会社、スワロフスキーがクリスタルで製造可能だと言ってくれたが、適切な形をデザインするのに2年かかっている。中に入れるフラコンは、ドイツのクラインテッタウに拠点を置くとても伝統的な家族経営会社、ハインツ・グラス・KG(1622~)が作ってくれた。フラコンの色を選ぶために、ヤン・エワウトは個人的に毎年この会社を訪れている。

フラコンの始まりは、最初に彼が期待していたものより、ずっと複雑なものになってしまった。その一方で、彼は別のプロジェクトに取り掛かっていた。フローニンゲンに所有している、元プロテスタント教会だった建物をピュアディスタンスの本社にしたのだ。しかし、フローニンゲンのように全くぱっとしない場所に高級商品を扱う会社ができても、いかがなものか。自分の抱いているイメージにピッタリな都市はないものかと、彼はあれこれ考えてみた。パリ(みんなここが大好きだけどね)とニューヨーク(最倍速で稼働するのはごめんだったし)を排除した後、ウィーンが候補となった。

ウィーンは私の故郷。(え?この本を私に書かせようと決めたのは、イメージに合ってるから?そうよね!)

 ウィーンは文化、芸術、音楽、独特のメランコリックな考え方が浸透している、中央ヨーロッパの美しい都市だ。完璧にフィットする。フランツィスカーナープラーツの街のど真ん中に彼はピュアディスタンスの拠点を見つけた。彼の香水ひとつだけを紹介するショールームを。
どんな些細な点にも気を配り、ピュアディスタンス・パフューム・ラウンジのインテリア設計が開始された。まずそう名付けられると、ウィーンに拠点を置く建築家兼照明デザイナーであるフィリップ・メッテルニッヒの協力を得て、作業は進められた。ヤン・エワウトが存分に説明したおかげで、彼にとってピュアディスタンスという香水は色で言えば白であり、光と純潔さに包まれているイメージだった。フィリップはコンセプトを良く理解し、次のミーティングでこう言った。「僕らが話し合ったようにすべてやってみたよ。でもひとつ変更があるんだ。全部黒にしよう。」

ヤン・エワウトはこの大胆なアイデアが気に入った。ラウンジで全く違う方法でライトを使うのだ。彼はフィリップを信頼していたし、構成からライティングまですべてのプロジェクトを委ねる代わりに、失敗してもいいというオプションも提供している。当初、そんなことはできないとフィリップは断ろうとしていたが、ヤン・エワウトの信頼に拍車がかかり、実際やり遂げている。
失敗案など必要なかったのだ。ウィーンのピュアディスタンス・パフューム・ラウンジを訪問するのは地下室にいくのとはわけが違うが、とても美しい場所だ。メッテルニッヒのライティング・デザインは秀逸で、目は必ずひとつのものに引き寄せられる。神々しいまでのクリスタルの円柱容器に入れられた香水に。しかし、当時、ウィーンは決して居心地のいい場所ではなかった。ウィーンはよそ者が根を下ろそうとするには、とても厳しい都市なのだ。この美しい大都市の中心にあるラウンジは完全に孤立し、訪れる客もほとんどおらず、商売にもならなかった。困難を極めた当時をヤン・エワウトはこう語ってくれた。

「ウィーンのこの第一区画は昔から’外国人‘には閉鎖的で、とくに何か大胆なことをやろうとしている者には厳しかった。振り返って見れば、黒と金の禅寺(この引用、私も時々使います)にこもって、外部からの力やプレッシャーなしに、一歩一歩進むしかなかったよ。
ニッチ・パフュームの世界がどのように機能しているのか多少は分かってきた頃、世界的アンバサダーのネットワークを作らなくてはと気づいたんだ。この2年で結構な数になっていたし、ラウンジへの信頼感も生まれていたんだ(誰もラウンジを訪れたことはなかったが、そのイメージとコンセプトに感心している者は多かった)。だからオランダに戻って、2000年に購入したまま放っておいた、美しいけれど当時は空っぽだった教会を本社にしようと思ったんだよ。最初に大成功したせいで、儚く自滅してしまった会社を沢山見てきたしね。多分厳しい体験をして、長い道のりを行く事自体が、結局のところ最善の道なんだ。」

ウィーンからフローニンゲンに戻り、失敗として(少なくとも当時はそう思えた)ラウンジを手放す事は、若い会社にとってはかなりの危機だった。この先続けていけるのか、続けるべきなのか彼自身確信は持てなかった。しかし、そう簡単に怖気づいてもいられない。再挑戦だ。

それ以前に、ヤン・エワウトはピュアディスタンス1のコンセプトを作り上げていた。スケッチや自分が撮った写真、生地見本などをポートフォリオにまとめ、可能性のある調香師にいつでも見せられるようにしておいた。これから出来上がるものを、世界にも紹介したいと思っていた。フェラーリやアストン・マーチンといった会社の流通方法にも興味があった。他にない、エクスクルーシヴィティ。それこそが最も大事なものだった。高度の知識を持つセールス担当者、少ない販売店、個人的で、ダイレクトで、親密な関係。仲介者なし、卸売り業者なし、代理店なし。こうした要素を満たした会社を彼は立ち上げたかった。こうしたビジネス・プランの基幹は現在に至るまで引き継がれている。地域差に合わせて(かなり後になってから、ロシアと中国には卸売り業者を置いている)文化などにも対応もしている。ピュアディスタンスは常にこの原理に沿って運営されてきたし、それは今後も変わることはない。

今のところ、ヤン・エワウトはビジネス拠点を持っていた。オランダの教会だ。ウィーンにはショーケースとしてのラウンジがある。息をのむほど美しく、同時に法外な値段のフラコンがある。ビジネス・プランもあるし、どうやって香水を提供するか、はっきりしたヴィジョンもあった。しかし、いまだに欠けている最も大切なものがあった。香水だ。

 会社を立ち上げている時、同郷のミック・ファン・フライメンに合うよう彼は勧められていた。彼はスイス基盤の香水会社フィルメニッヒで働くため、ニューヨークに転勤するところだった。結局、ミックなしではピュアディスタンスは存在しなかっただろうと言えるほど、彼はなくてはならない仲介役兼メッセンジャーになってくれたのだ。とてもエネルギッシュな彼は即座にピュアディスタンスのコンセプトを理解し、フィルメニッヒや高砂香料でセールス・マネージャーとして働いていた経歴を活かし、この業界に理想的な形でピュアディスタンスを導いてくれた。知り合いがほとんどいなかったので、ヤン・エワウトはミックの次のニューヨーク出張に彼のコンセプトを携え、ヴィジョンに最適な調香師を探してほしいと頼んだ。ミックはフィルメニッヒのマスター・パフューマー、アニー・ブザンティアンのことは知っていたので、彼女こそ適役だし、何かコラボレーションができるのではと思っていた。

そして、歴史が誕生した。

4-1 アニー、または偶然の一致

ピュアディスタンス1は疑いもなく、ブランドにとって根幹を成す基盤であり、初めて世界に挨拶をした作品だ。恒久的な美というヤン・エワウトのアイデアの反復であり、どの要素も重要不可欠だが、コレクションの中でもこれなしには全ては存在しえなかったと言える中心的存在を占めている。

 当初、彼が抱いていたピュアディスタンス1の概念は、平和で時空を超えている美しさだった。白く、威厳があり、空気のようで、触れることのできない、エレガントで、控えめなイメージだ。

その純粋さから解き放たれる美しさ、軽んじることのできない明瞭さと洗練されたスタイルを通し生み出される、畏敬の念さえたたえる距離感。騒音や、様々な色、干渉、気晴らし、何もかも過剰で飽きっぽい悪趣味な世界に、一瞬かたずをのむような存在を送り出したかった。その稀にみる存在感、たたずまいにすべてが停止する。もっと、もっと、もっとと、とめどなく流れる滝を完全に止めてしまいたい。息も詰まるような部屋に、新鮮な空気を。砂漠に水のしぶきを。あふれ返る色の洪水に、稲妻のような白さを、耳障りで不快な声に向かって、クリアなソプラノが聞こえてくる。些細なことを考えているわけではない。彼の理想は壮大だった。現状を打破しないと。しかし、そんなアイデアを巡らせているのは、彼ひとりではなかったということが分かったのだ。遥か海の向こう、ニューヨークに、偶然にも同じインスピレーションのもと、作業を進めている女性がいた。その思いをどうにか香水に現せないか。それこそ彼女の専門分野であり、才能、芸術そのものだからだ。フィルメニッヒの調香師、アニー・ブザンティアンは自分自身のために特別な香水を作り上げていた。まさしくヤン・エワウトが抱いていたアイデアそのものの香水を。もはやこれは、偶然以上の何かだったとしか言いようがない。
ヤン・エワウトが話してくれた。

「ピュアディスタンス1のコンセプトを視覚化した後、概要をまとめたんだ。文章、写真、音楽、私にとってピュアディスタンスが何を意味するか現しているもの、すべてを集約してみた。それから、調香師探しが始まったんだ。いくつかの会社を訪ねてみたけど、どこもうまくいかなかった。そんな時、アムステルダムのスキポール空港で、ミック・ファン・フライメンに出会ったんだ。ミックは世界でも屈指の香水会社のひとつ、ニューヨークのフィルメニッヒに向かうところだった。彼はピュアディスタンスのアイデアを心から気に入ってくれ、フィルメニッヒの調香師の誰かに紹介してくれるって約束してくれてね。それからだよ。すごいことが始まったのは。フィルメニッヒのマスター・パフューマー、アニー・ブザンティアンに要約を見せると、彼女は真っ青になってね。ポートフォリオの表紙を懐疑的な顔で見つめ、ニューヨーク誌に掲載されていたファッション広告-ひとりの女性が、ただグレイのシルク・ドレスを着ている。とても肌が綺麗で、雪の中で立っている写真なんだ。彼女いわく、’ミック、私、この香水を作る必要はないわ。‘彼女はオフィスの引き出しを開けると、同じ広告を取り出し、’2年前に自分用の香水を作ろうと思って、同じ広告を素材にしたの。私だけの傑作をね…ひとつの香水に冷たさと温かさを一緒に込めたかったの。‘
起こるべきして起きたって事だね。ユングはこれをシンクロニシティって呼んでいる。お互いを知らずに、ふたりの人間が同じアイデアを持っていたんだ。彼女の傑作を1年かけて一緒に微調整したよ。そしてピュアディスタンス1は完璧なものになったんだ。何通りかの濃度を試してみたんだけど、最終的に32%が一番良かった。アニーは洗練された香水を望んでいたんだ。リッチでエレガントなんだけど、決して重くないものを。」

パリの香水評論家、オクタヴィアン・コワファンは自身のサイトでこう表現している。

「この香水の新鮮さは、肌馴染みの良さだ。じっと見つめて賞讃するための香水じゃない。沈黙の中,身に纏ってこそ贅沢なんだ。肌と見事に融合する。たとえば、女性デザイナーが作り出したファッションのように。それって、女性が手掛けたものだという事実は、別に驚きでも何でもない。そんな感じさ。個人的に贅沢な瞬間、秘密、親密な喜びっていうか。」

こうして豊かな作業関係が始まった。ヤン・エワウトとアニーは同じ波長で、多くの価値観やアイデアを共有していたが、最も重要なのは嗜好性が似ているということだった。ふたりがピンとひらめくと、ピュアディスタンス1に命が吹き込まれていった。
以下は、私が2012年、ピュアディスタンス1について書いたレビューの抜粋である。

「私はひねくれ者。
もっと世界観を広めたいってしょっちゅう思うし、もっと成功したいとも思う。でも、自分の本質は否定できない。だから、ピュアディスタンス1には、ちょっと小ばかにしたような態度で向き合った。ああ、すばらしいレビューの数々。洗練されていて、とっても高貴な佇まい。もう、これしかないって、信じられないほど高価なクリスタルの円柱に香水を差し込んでるいんだもの。
もう、やめてよ!嘘くささがプンプンする!どれだけ特別だっていうの?すてきなデザイナーが作った入れ物に、どこかの工場が作った香水をまた入れただけでしょ。
 私はウィーンに住んでいる。ピュアディスタンスがショールーム(ひとつの香水だけ置いてるショールームって、はああ??)を持っている街に。ということで、ブログのため、好奇心を満たすために、行ってみました。都市の中心部の中庭とも言えるフランツィスカープランツでも、かなりいい場所にピュアディスタンス・ラウンジはあった。もう好奇心満々で到着した途端、ガッカリ。表札が出てて、「予約のみ」だって。何言ってんのよ!バカじゃないの!ただの香水よ!ローマ法王じゃなくて!
なので、ウィーンに住んでいない人なら誰でもそうすると思うけど、この香水を試してみたかったので、素晴らしいオンラインストアも持っているドイツのニッチ・フレグランス会社、ファースト・イン・フレグランスでサンプルを注文したわ。でね、そういうことよ。数日後、荷物が届いて、もう絶体絶命!手の届かない存在どころか、オンラインストアの善良な店員さん、ゲオルグ・ヴフサが詰めてくれた、これ、ちょっと失礼なプラスティックの入れ物に入って鎮座ましましてる。もう、潔く試してみるしかない…
なんだろう?気配りのできる読者は、もう次に何がくるか気づいているわよね。
ピュアディスタンスの祭壇に、私は深く敬礼をしていた。あらゆる賞讃を浴びて当然だわ。うん。もう少し付け加えると…
一言でいうと、いい。じっとしていると、圧倒的な満足感に包まれる。ひねくれ者はさっと姿を消す。とにかく、いい。

高賦香率(32%)のパルファム・エクストレ。滑らかでスムーズで長持ちする。強いとか、圧倒されるとか、そういうのではなく、ソフトで、新鮮で軽い。信じられないほど優雅で、洗練されていて、時空を超えている。香水そのものは黄金色のアンバー系だけど、私には日の光に照らされた雪のような白さを感じる。黄金のヴェールで世界を覆っているけれど、素晴らしい美しさが不完全なものが吐き出す雑音や汚れを消してしまうかのように。すがすがしく、純粋。高級なシンプルさに魅入られてしまう。身に纏った時、賞讃の言葉しか浮かばなかった。

 ひとつここで経験できて、ほんとに嬉しいわ。

美は存在する。私の批判的なものの見方なんか凌駕するほどのものが。本物の、荘厳な美に、私だって影響されるし、もっとましになれる。私が間違っていたわ。(跪いたほうがいい?)

それで?

ええ、本当にローマ法王に会いに行くわ。ピュアディスタンス・ラウンジに予約を入れてね。自分自身のために、純然たる美のフラコンを購入するために。クリスタル・コラムは買えないけどね。買えないからじゃないわ。もし買えたとしても、この香水には必要ないと思うの。それ自身、もう独立しているし。(そうなのよ。試験管みたいな形の容器がいいの。え?まだ、何か皮肉を言うのかって?ダメ?)本気で言っているのよ。余計な光を加えなくても、内側から光り輝いているの。この香水だけは絶対裏切りたくない、一生大事にしたいと、初めて思った香り。

こうして、ひねくれ者は沈黙しましたとさ。」

ピュアディスタンスを知っている人なら、上記の私の評価に同意してくれると思う。初めて香水と香水の虜になった女性の陶酔した日々を書いた時の気持ち、今でもわかるの。ピュアディスタンス1と私、今では円熟した関係を保てている。色々なものを目にして、生きてきた。人生、山あり谷ありでも一緒に切り抜けられる頼もしい仲間だ。今でも信じているし、大事だし、必要な時はいつもそばに置く。いつでも私のためにそこにいて欲しい。

 何か持ちこたえるものを作りたいという、ヤン・エワウトの希望、私はその生き証人だ。彼は確かに作った。もっともっと言いたいけど、彼が教えてくれたのよ。そぎ落としてこそ、豊かだと。

4-2 フリーダ・アントニア

ピュアディスタンス1発表後、緩やかだが確実に成功へと道がついていった。口コミ(ブログ・コミとでも言ったほうがいいかも。ニッチ・フレグランス・シーンにとって、最も重要な手段だし)を通して、ピュアディスタンス1はヒットした。ヤン・エワウト本人は商業的大成功など期待もしていなかったし、望んでもいなかった。そういうブランドではないからだ。ゆっくりと、しかし堅実に、小さいからこそ美しい。彼の生き様に伴走してきたすべての格言は、彼の香水にとっても当てはまるものだった。とても複雑なニッチ・パフュームの世界にピュアディスタンスは居場所を見つけ、しっかりと足場を固めていった。

新発売の興奮冷めやらぬ中、やがて若い会社にとって確実な流通対策、長時間労働が求められるようになっていったが、2年後には製品ラインに新しい香水を追加したいと切望することになる。

アニー・ブザンティアンと一生懸命仕事をしてきたので、次回作も当然彼女に依頼することになっていた。彼女自身がすでに製作したものがないか、彼の好みに合うものは。そこで手渡されたサンプルを試してみると、その香水にはすでに‘アントニア’という名前がついているという。こんなことって!彼の母の名は、フリーダ・アントニア。ここでまた、偶然の働きが!
アントニアは彼女が自分自身のために作ったもので、マスター・パフューマーと呼ばれる特別なセレモニーに纏うことにしていたものだった。そういう意味で、彼女自身にも深い結びつきのある作品だった。

ヤン・エワウトにとっても、母を思い出さずにはいられない香水だった。大きな入口、バレエ・ダンサーの姿、一方では歴史の重み、ドラマチックな佇まい。また一方ではソフトで滑らか。優しく暖かい。初めてこの香水を試してみた、母の長年の親友で、現在はテキサスに住んでいるスースが、「ああ、ほんとうにあなたのお母さんそのものよ!」と言ったほどだ。会社の運営に疑問があったとしても、アントニアを紹介されたら、そんなもの吹き飛んでしまうだろう。これこそ、完璧な展開だと彼は確信していた。

数か月かけて、母親のイメージや思い出を通しヤン・エワウトとアニーは香水を完成させていった。そして発売が決まった。以下はアントニアについての私のレビューだ。

「アントニアは壮大に降りかかる姉の影と競争しなくてはならなかった。ほぼ無色透明な液体を湛えたこの小さな入れ物に、期待が山積みにされている。それが、アントニア。
アントニアはどんな感じで?
彼女は彼女そのもの。いつも自分らしく、ユニークで。アントニアは決してピュアディスタンス・Ⅱなんかじゃない。
何が興味をそそられたかって、グリーンと暖かいノートが完璧にバランスが取れているところね。最初から最後まで、何時間も長持ちするし。グリーンがまず全面に出てきて、そこからドライダウンの過程で暖かみを出していくんじゃなくて、初めからそのふたつのクウォリティが絡まりあって、優しい花のノートにガルバナムが付随して、根底にはベチバーとバニラが絶えず並列している。
スローモーションのダンスのように、アントニアは開花し、ゆっくりとうねり、緑色のヴェルヴェットの繭の中で、身に纏う者を包み込んでいく。オリーブ・グリーンの生地。多分、サテンね。プロモーションの写真からは判断できないけど、完璧なパッケージングから、私にとって、アントニアはまさしくこの色の香りがする。彼女は緑色のヴェルヴェット・ドレスを纏っている。
アントニアはピュアディスタンス1よりは甘いけど、グリーン・ノートのおかげで常によくバランスが取れている。
今日、すごく寒いんだけど、彼女(この香水を擬人化せずにはいられないわよね?)を肌に乗せていると、暖かいヴェルヴェットのショールに包まれている感じなの。でも、春や夏だって、グリーンの要素が高原でも放たれて、体を鎮静化してくれるはずよ。
アントニアはモダンでも時代遅れでもない。時空を超えた香水。無垢でいながらフェミニンで、自信に満ちた女性へと姿を変えていく。謙虚な優しさで心を鷲掴みにして、粘り強く忠実に、一緒にいてくれる。かと言って、圧倒したり、強いというわけじゃない。」

アントニアのパッケージングの詳細はピュアディスタンス1とは異なったものだった。フラコンは1の軽いホワイトとは違い、ソフトな緑色のサテンが敷かれたベッドに横たえられている。アントニアはもっと成熟していて、より近づきやすく、優しくて、それでいて、もっとドラマチックだ。オーセンティックで個性的だったので、とても評判が良かった。傑出したオリジナリティは類を見なかった。しかしながら、特有の個性がため、他のピュアディスタンス作品に比べると世界的アピールは低く、高セールスには繋がらなかった。

アニーとヤン・エワウトは共同作業を存分に謳歌した。家族的な価値観でも共通点が多かったし、ともに娘ふたりを育てている。家庭でもシンプルで地に足のついた生き方をしている二人が、それぞれの職業の中から生まれた卓越したものを合体させていく、そんなゴールを目指して。彼らは同じ波長で、コミュニケーションにも問題はなかった。互いのアイデアがひとつになり、絆もどんどん深まっていった。アントニアが発表された時、彼女の名前を刻んだクリスタル・コラムをヤン・エワウトはプレゼントしている。娘の名前がついにボトルに刻まれるなんて。アニーの母は心から喜び涙した。どれだけ多くの香水を生み出しても、調香師の名前が刻まれることなど、ありえないからだ。
すばらしい共同作業を重ねたが、ヤン・エワウトは3番目の香水は別の調香師に依頼しようと決めていた。第一に、アニーはかなり多忙で、第二に、次に描いていたコンセプトがアニーの心地よい路線とは一線を画すものだったからだ。第三に、ビジネス的視点から、すべての作品を同じ会社に委ねるのは最善とは言えないからだった。アニーはスイス基盤のフィルメニッヒ所属調香師だったので、香水のパテントはすべて同会社のものになっていた。過去の経験から、ひとつのものにすべて注ぎ込むのは良くない、次回はインディ系調香師と仕事をしよう。それがロジャ・ダヴだ。

4-3 ジェイムズ・ボンド

アントニアと同時期に、ヤン・エワウトは3番目の香水を計画していた。香水コミュニティにとって、より男らしさを狙った作品を。この機会だから言わせてもらいたいが、香水に性別は全く関連性のないものだ。メインストリームでどれだけ注目されているかに関わらず、音楽や絵画がそうであるように、香水に性別はない。香水とは芸術作品であり、性別が入り込む隙間はないのだ。香水を語る時、表現者がレッテルを貼るのではなく、男らしいとか、女性らしいと引用するだけのこと。にもかかわらず、特定のノートは特定の人々を魅了するようだ。ある特定の色やイメージに刺激されるように。ピュアディスタンス宇宙での、第三の香水、Mは男性が作ったという意味では男らしいのかもしれない。アストン・マーティン製、あの車内の装飾を彷彿させるスティール・グレイのフラコン、革とスパイスの香り。ボトルの中にジェイムズ・ボンドがいる。

ヤン・エワウトは初めてロジャ・ダヴと仕事をすることになる。ロンドンで出会い、ブランドについて語り合い、派手好きなロジャはクリスタル・コラムにいたく感動した。ヤン・エワウトにとって、誰と仕事をするにせよ、自分自身の哲学をゆっくりと確実にロジャに伝えていくことがとても重要だった。「たけのこは樫の木じゃないんだよ。」会社と作品を発展させていくには、我慢強く時間をかけることが大切なんだと、あの日彼は強調していた。まだ発表されていないアントニアを紹介され、香りを試してみると、ロジャはアントニアの美しさとそこに繋がる母親の愛に感動し涙を流したという。ロジャ・ダヴは心の底から香水と、その避けることのできない魔法を愛している男だった。

伝説の男とさえ言われたロジャ・ダヴは自称マスター・パフーマーであり、当時ロンドンのハロッズ・デパートでは素敵なものが山ほど積まれた頂点に彼は君臨していた。香水という香水、すべてに夢中になっていた。博識で、何時間でも香水について語り、それぞれのお宝ボトルにまつわる物語を聞かせては大衆を魅了していた。ロジャ・ダヴには誰にも負けないカリスマ性があった。そのカリスマを、疑いなく彼はMに吹き込んだ。ヤン・エワウトとロジャとの共同作業は幾度も困惑したものになった。全く異なる個性がぶつかり合うのだから。私はふたりとも会ったことがある。ね、わかるでしょ。Mは絶対凄い作品になるのは間違いないって。しかしながら、近い将来、Mはアントワーヌ・リーの新しいテーマに沿って、刷新されることになる。今のところ、M V2Qという名前が決まっている。

発売当時、ロジャ・ダヴのMについて私がどう思ったか見てみよう。

「身につけるとMはスパイシーで、一般的な革の匂いではイラッとするけど、全く気にならない、暖かいオリエンタル系のちょっとした優しいレザー感がほんの少し存在している。つけ始めは、ベルガモットとシトラスのトップ・ノートが現れるのだけど、すぐにスパイシー・ベースは頂点に達し、夫が身につけるより私のほうがフローラル感が目立ってくるのよね。それから豊かなシナモン、パチョリ、バニラのベースが顔を出し、べチバーのウッディな感じがアクセントになり、前述した革と一瞬ダーティ感が出るの。

Mは贅沢で複雑。それでいてエレガントで上品。Mには圧倒的な要素は存在しない。高貴で洗練されている。多分、そういうところがアストン・マーティンぽいのかな。革の香りからじゃなくて、決定的な優雅さとイギリス的ゆとりを弄びながら。Mはそこにいるだけでパワフルだ。言葉じゃなくて、存在そのもので注目を引いている男のように。それでも、Mは男性的だとは思わない。根本的にはそうだけど。女性の私でも問題なく身につけられるんだもの。たまたま居合わせた善良な人たちが、私のつけている香水について質問してきたわ。男っぽい香水だなんて一度だって疑いもせず。それでみな気にいってくれてね!ピュアディスタンス作品はその高品質と卓越した存在感で、いかようにでも私を操ってくれる。距離を置いたり、客観的になろうとしても、興奮せざるをえないのよ!」

Mはカルト・ファンを得てきた。それもピュアディスタンスが活発に流通しているヨーロッパやアジアとは全く状況の違うアメリカで。この時点で、世界ではピュアディスタンスがどのように受け止められているのか見てみよう。ヤン・エワウトは自分の立場を守り続け、会社は小さいままだった(それが美しいのよ、覚えてる?)。片手に余る数人のスタッフと、フローニンゲンで働いていた。ロシアと中国にだけ彼が信頼できるディストリビューター2社を配し、それ以外の国は直接対応していた。信念を妥協してまで仕様を変えたりするビジネスとは縁がなかった。典型的ピュアディスタンス客は固定されている。一度気にいった香水があれば、必ず戻ってくる。東ヨーロッパはピュアディスタンスが最も流通している地域だ。スラヴの人々の魂に訴えるものがあると、彼は信じている。メランコリー、ノスタルジア、良い趣味、ピュアディスタンスのイメージを即座に感じ取り理解できる気質。そういう意味で、アメリカの顧客は香水の背景にある感情的なコンセプトなど、あまり得意ではないようだ。中東もピュアディスタンスには良い市場だ。贅沢な特別感が大いに受け入れられている。アジア、特に日本でピュアディスタンスは評価されている。日本の洗練された多くの顧客にとって、ヨーロッパ的イメージは抗えないものであり、体現されているようだ。

同時発売されたMとアントニア。これもまた、大成功だった。

ポートフォリオには3つの作品が存在し、流通も拡大し始めていった。ヤン・エワウトは気に入った人、信頼できる人間とだけ仕事をした。実際、彼は香水会社に直接赴き、ブランドについて話し合っている。販売サイドに於いて、何の管理もできないような卸売り業者との直接取引はしない。選び抜かれたハイエンドな香水製造所や、進んで興味を示してくれた人たちがピュアディスタンス製品を売ってくれている(初期ピュアディスタンスで、数年働いてくれたエレーナ・ソパチーヴァの貢献にも感謝)。商品を置いてくれている店、パリのジョヴォワやサン・ユニーク、ボロンガのプロフメリア・アル・サクロ・クオーレザグレヴのラーナ、ワルシャワのクオリティ・ミッサラといった場所に足を運ぶのも好きだ。ロシアの最高級香水店のひとつ、クラスノダールの美しい店のオーナー、タチアナ・キリロフスカヤにも会っている。彼女はピュアディスタンス作品に惚れ込み、今ではロシア全土の流通を手掛けている。中国にはチー・ワイ・タンがいる。全世界でディストリビューターはこのふたりだけだ。他にピュアディスタンスを販売している国は、ヤン・エワウトが直接対応している。

始まりから今日まで、ピュアディスタンス・オンライン・ストアはフローニンゲンの教会をベースにしている。すべてのフラコンは手で詰められ、贅沢な梱包を施されて、親しみやすい手書きのメッセージを添えて、世界へと送り出されている。

3つの香水が順調に売れ、しっかりと根ざしていくと、ヤン・エワウトは次の動きを考え始めていた。ロジャ・ダヴとの強烈なコラボレーションの後、彼は再びアニーと仕事がしたくなっていた。

そして、ニューヨークへと飛び立っていった。

4-4 フランス人が新しい単語を得る方法

4番目の香水、オパルドゥは主にキース・ヴァン・ドンゲンの小さな花の絵画に刺激を受けて誕生した作品だ。

コーネリウス・テオドール・マリア・’キース‘ヴァン・ドンゲン(1877~1968)はオランダ人画家で、フォーヴィズムの代表者である。彼はパリで生活をしながら活動し、女性を題材にした官能的な肖像画で名声を博している。次に刺激となったのが、2011年のウッディ・アレン作品、「ミッドナイト・イン・パリス」だった。主人公が1920年代にタイムスリップするのだが、そこはジャン・コクトーや、アーネスト・ヘミングウェイ、コール・ポーター、F・スコット・フィッツジェラルド、ガートルード・ステイン、パブロ・ピカソの時代だった。映画の主人公のように、ヤン・エワウトはノスタルジックなものを愛し、過去を偲び、現代社会の息をつく暇もない喧噪や、テクノロジーから解放されたかった。次回作は20年代パリの夜を彷彿させるものでなくてはならない。暖かく、人間的で、ちょっと寂しい。でも、いい意味でね。

じゃあ、オパルドゥはどんな香り?私のレビューを見てみよう。

「オパルドゥという名前はヤン・エワウトの造語だ。フランス人がずっと待っていたような言葉を、目をキラキラさせながら彼は教えてくれた。

とても刺激的な言葉、オパルドゥ。部屋を出ていくとき、誰もがそれぞれの解釈を持って受け止める。フォス氏は華やかさやロマンスといった過去の記憶を表現したかったという。私にとって、オパルドゥは‘ああ、どうしよう!!’的な、二度と取り返せないもの、なくしたが最後絶対見つけられない、絶望的なイメージがある。(ね、私だって決して楽観的な人間じゃないのよ。メランコリーなものには弱いのよ。それがウィーン魂ね。)

オパルドゥを試してみると、夕暮れ時の風景の中、涙と笑顔の間をふわふわ漂っている魂が完璧にフィットする。ほろ苦い思い出、叶わなかった夢、失ってしまったチャンス、悔しそうに振り返ると、雨でずぶ濡れになったライラックが、甘いヴァイオレットが、粉っぽいヘリオトロープが垣間見える。母親が持っていた石鹸の気まぐれで、嫌な思いをしたことをはっきり思い出す。

オパルドゥは静かで反射的な香水だ。レトロな感覚。別の時代を鮮明に思い出させる。カール・E・ショースキ著、‘Fin-de-siècleVienna’ に登場するアッパークラスの女性たちは、きっとオパルドゥのような香りがするだろう。

オパルドゥはピュアディスタンス基準に完璧にフィットしている。エレガントで瀟洒。身につけている自分まで上流階級的な洗練された気分になれる。クラスこそピュアディスタンスのすべてだ。疑いなく、オパルドゥには気品がある。

1日だけ、エミリー・フローゲになった気分になれる。そんな日はすべて無くしてしまった過程を偲び、さめざめとセンチメンタルな気分に耽ってみる。オパルドゥの残り香が漂うと、さあ、涙を拭いて、もう寝ましょう。太陽は必ずのぼってくるんだという安心感にどっぷり浸かればいい。

でも、いつだって、振り返った時のオパルドゥの佇まいは見逃さない。過去からしか、私たちは学べないんだから。」

ピュアディスタンスの歴史に於いて、一種の兆候と偶然性が大きな役割を果たしてきたというのはすでにわかっている。ヤン・エワウトはその手の‘偶然性’をとても大事にしていた。彼自身の言葉でオパルドゥを語ってもらおう。

「4月24日の大虐殺記念日に、たまたまアルメニアの首都、エレバンにいてね。1915年から1923年まで行われていたアルメニア人大虐殺犠牲者を偲ぶ記念日なんだ。毎年、何千人もの人々が記念館まで歩いて行って、永遠の炎に花を手向けるんだ。旅の主な理由は、エレバンの目抜き通りでピュアディスタンスを売ってくれている新しい香水店、アーミテイジを訪問することだったんだけど。アルメニアの人々は私を大歓迎してくれてね。豊かな歴史にはとても感動したよ。個人的にとてもヴィジュアル人間なので、古代の教会や修道院の神秘的なシンボルの数々を楽しんだりして。滞在中、不可解な美しさを目撃したよ。これが初めてじゃないけどね。なんだか、毎年アニー・ブザンティアンと私は神秘的で美しい経験をしているようなんだ。ピュアディスタンスと、その歴史を知っている人にはわかると思う。ピュアディスタンス1とアントニアに纏わる偶然性をね。今回、オパルドゥはアニーの3作目になるわけだけど、最も不可解で神秘的な経験だったよ。近年、ニューヨークのアニー・ブザンティアンを訪ねて、オパルドゥを彼女に届けた時、記念日にはアルメニアに行けるか聞いてきたんだ。絶対行くべきだって。とてもエモーショナルで感動的な経験になるはずよって。

元々、彼女の先祖はアルメニア人だから、彼女にはよくわかったんだね。

だから、義理の父、ハンス・カピタインと一緒に行ったんだ。長い列に加わって、みなと一緒に永遠の炎のモニュメントにゆっくり歩いていった。途中まで行くと、年老いたアルメニア男性が紫色のライラックを一枝くれたんだ。「はい、君にね」って。「モニュメントに手向けるんだよ。」信じられなかったよ!紫のライラックはオパルドゥの基本材料で、アニー・ブザンティアンが手掛けた最新作だよ。これは何かの兆候か?わからない。わからなくていい。ただ私たちはモニュメントに花を手向けて、深い感動に包まれた。それだけだ。」

オパルドゥも、ヤン・エワウトとアニー・ブザンティアンの共同作業が豊かに実を結んだ良い例だ。しかし、アニーはすでに引退を考えており、2018年身を引いている。

次の調香師を探さなくては。そして、またあの、とてつもなく重要不可欠な知人、ミック・ファン・フライメンが登場する。

4-5 すべてブラックではなく…

香水界の新星、アントワーヌ・リーがパリに登場した。ストラスバーグ生まれ、グラースのジボダンで香水を学び、マスター・パフューマー、ジャン・カールに師事している。大手ではIFFのアルマーニ・コードなどを手掛け、高砂香料で働いていたが、究極のところ彼はニッチ・ブランドならではの奔放さをもって、独立した香水を作りたいと切望していた。おかしなことに、彼の名前を聞いて、実際に対面するまで、ヤン・エワウトはアントワーヌ・リーは中国人だとずっと思っていたという。

アニー・ブザンティアンにも紹介してくれたミック・ヴァン・フライメンを通して、オランダ人、ヤン・エワウトはアントワーヌとパリで出会っている。世界で一番好きなパリに行けるのが、彼はとても嬉しかった。ロマンスと優雅さに満ちている大都市。いつだってロマンス満載。そんなパリが大好きだった。アニーとの仕事は楽しかったが、ニューヨークそのものは耐え難い場所だった。あまりに煩く、全然エレガントでもなく、彼の好みに対してはかなりペースが速かったからだ。一方、パリは最新香水オパルドゥにラヴレターを書くほど彼にぴったりだった。

 フレンドリーで控え目、ちゃんと約束を守る人、アーティストにありがちなそれとは程遠い、アントワーヌ・リーは愛嬌のある、分別のある家庭的な男性だった。ヤン・エワウトとアントワーヌは即座に同じ価値観で打ち解けあい、友好的で互いを尊重しあえる仕事仲間となっていった。ヤン・エワウトが彼に依頼した香水の名は、ブラック。ピュアディスタンスの新しい家族にとって必要な要素をすべて詰め込んだコンセプト、インスピレーションをまとめたポートフォリオが提示された。

ブラックはミステリアスな香水にしたかったという。世界に向けて大声で叫ぶのではなく、秘密をそっと囁く。官能的で、エレガント。身に纏う者にぴったりと寄り添い、幾重にも重なった層を、ゆっくりと現していく。すべてを一度に見せるのではなく、影とひとつになり、隅のほうでこっそりと動いている。たまにしか本性を現さない。他のピュアディスタンス作品がすべてそうであるように、独特の優雅さが必要だった。だが、表現方法は全く違うもの。

本質的にオリエンタルな香りでも、そういうジャンルの焼き直しなんかじゃない。身に着ける者を誘惑し、ずる賢く、決してオープンではなく、魅了していく唯一無二の存在。

アントワーヌ・リーは彼のコンセプトがとても気に入り、ただちに彼版ブラックを作り上げてくれた。もうヤン・エワウトはぞっこんだった。意識的に決定だ。ミステリーに包まれているべきという、ブラックの構成をあれこれつまびらかにするとこはない。ヤン・エワウトにとって、香水とはフィーリングであり、情報ではない。可能な限り、謎のままでいてほしい。彼が好きな比喩が音楽だ。作曲家に向かって、この音を使ってシンフォニーを書けとは、誰も言わない。その手の方向性を調香師に与えたことは一度もない。彼はわかっていた。自分は専門家でもないし、専門知識もない。言い換えれば、彼は無関係な位置から音楽そのものを見出しているということだ。出来上がったものこそ大事で、最初に抱いたコンセプトに継ぎ目なく添っていればそれでいい。

ブラックの最終調整段階の頃、ヤンエワウトは休暇でプーケットにいた。ちょうどインディゴ・ホテルで夕食をとっている時だった。その夜、彼は25%の濃度でブラックを試していた。着席していると、レストランの女性がさかんに彼が身につけている香水を褒めてくる。これだ!と思った彼はこの濃度でいこうと決めたのだ。

ザ・パフューム・シュラインブログのライター、エレーナ・ヴォスカーニはブラックを以下のように表現している。

「発酵したプルーン、樫の木の樽に入ったコニャック、片手いっぱいのウールが、毒と薬の境界線で揺れるヴァイヴを発しながら、樟脳の匂いがするティッシュ・ペイパーへと変化していく。ピュアディスタンス・ブラックには独特の油感、スモーキーさがある。整った顔をした無声映画の俳優のように、決して終わることのない可能性の遠望に注目しながら、光と影がゲームをするように。顔の筋肉の微細な震えでさえ、この媒体が持つニュアンスを強化してしまう。

懸命なことに、ピュアディスタンスは多産なブランドではない。(年に一本も発表されない時もある)同時に沢山の作品を発表して、存在感を希薄にしてしまう多くのニッチ・ブランドと一線を画しているのだ。途方もなく男っぽいMや、優雅なピュアディスタンス1、女性向けオパルドゥに対して、かなり高いハードルを設けてもいる。当然、新作に対する期待もかなりのものだろう。ブラックは裏切らない。私たちが気づいてさえいなかった空間を埋めたのだから。レザー感いっぱいで、注目を引きたくてたまらない60年代キャラそのもののMとは全く違う。何かもっとダークで、近代化された社会に適応していないものとも違う。ブラックの25%という濃度は確かにリッチな経験と言えるが、囁くような香りは忠実に存在している。ピュアディスタンス・ブラックの秘密がゆっくりと明かされていく。スピーカーからではなく、さりげなく、こっそりと囁きかけてくる。アントワーヌ・リーによる偉業が、香料に強さを与えている。

かといってピュアディスタンスが香料を一切否定しているわけではない。本当にいい。ブラック。これからブラックを試すひとたちの記事や噂は本物のご褒美になるはず。鼻で感じたものが心を凌駕することもあるからね。私の鼻は、まずほとんど暴力的とも言える最初の、ダークさのある、すっぱいシトラス感にやられたわ。多分、土っぽいパチョリも。夕暮れ時、藪の中から出てきたカタツムリのように。やがて夜の闇が、甘くふっくらとしたシダー・ノートのウッディなかたまりをゆっくりと和らげていく。甘いメレンゲもパイプ・タバコを思い出させる。沢山お酒を飲んだ、そんな後味が残っているのよね。」

ブラックはあっという間に成功を収めた。ヨーロッパがピュアディスタンス1とオパルドゥを愛し、アメリカがMに熱狂している時、中東はブラック一色だった。ヤン・エワウトはブラックが大好きだったが、仲間が必要なんじゃないかと感じていた。解毒剤が。アントワーヌ・リーとの次回作はブラックの対位法的存在になる。それが、ホワイトだ。

4-6 …または、ホワイト

ヤン・エワウトの心の中で、ホワイトのコンセプトは非常にはっきりとしていた。素晴らしいほど、目も眩むほど、白い。

香水と言えば何よりも、まず身につけるひとを笑顔にしたい。それが彼の願いだった。ボトルの中には幸せだけ、太陽の光、暖かさと満足感が液体となる。難しい注文だったが、彼は妥協するつもりは一切なかった。ホワイトは限りなく美しく、ポジティヴ、即座に私たちをハッピーにするものにしたい。彼の妻、アナ・マリーが彼を笑顔にしてくれるように。ブラックの拮抗薬として、アントワーヌ・リーに再度依頼するのは、理にかなっていた。いつものようにヴィジュアル・ポートレイトを提示すると、アントワーヌは早速仕事に取り掛かった。しかしながら、今回はそう簡単に物事は進まなかった。ヤン・エワウトは余計な要素(モッド)をどんどん取り払っていった。(香水を作る過程で発生するサンプルをモッズと呼びます。モディフィケーションー変更、の略ね)こういうホワイトにしたい!という思いはありながら、いまひとつピッタリくるものが出てこなかった。これだ!というものをピンポイントで示すことができなかったが、こういうのだけは絶対嫌だというものは、はっきりと分かっていた。浜辺のような、当たり前のようにココナッツ的な、マンゴー・カクテルなんかお呼びじゃない。結局、彼は最初からやり直すことにした。製作過程で、そこそこの香水は出来上がっていたが、振り出しに戻すというのはかなりの決断だった。そう度々作れるものでもない。かなりの時間と金がプロジェクトにはすでに注ぎ込まれていた。しかし、ヤン・エワウトは動じなかった。求めているものでなければ、彼は相手にはしない。自分自身の原理はかたくなに守っていた。金のためだけに仕事はしない。自分が愛してやまないもの、何からでも守れるものしか彼の眼中にはなかった。当然、アントワーヌもやり直すことになる。あるセッションで、オリスが豊かに香るサンプルを彼は提示した。オリスはとても美しく高価なアイリスの根のエッセンスだ。兆候については何度かお話しているが、ホワイトにとってのサインが、ヤン・エワウトには確かにあった。イリス(アイリス)は彼の長女の名前で、その素材あればこそ、ホワイトはなるべき姿に落ち着くはずだと信じていたのだ。初めてホワイトを試した時の感覚を、私は今でもはっきりと覚えている。彼がウィーンに来て、カフェでお茶をした時だ。不可解な笑みを浮かべながら、サンプル容器を渡してくれた。作品の名前と作者がアントワーヌ・リーだということしか言わずに。私のリアクションが見たかったらしい。その通りになりました。手にちょっとだけスプレーして、鼻を近づけて…もう、たまらない、すっごいニヤニヤ顔になって、突然、心の底からハッピーになってしまった。ホワイトとはそういう香り。そうなるに決まっているんだから!

ヤン・エワウトのコンセプトが完璧に具現されたのだ。

ブログ、パフューム・スメリン・シングスのドナ・ハサウェイはホワイトについて、こう綴っている。

「大評判だったブラックに続く、ピュアディスタンス6番目の作品は、同じくアントワーヌ・リーが手掛けたもので、ホワイト以外の適切な名前は見つからない。とても明るく、眩しささえ感じる。太陽をのぞき込んでしまった時のような、そんな香水だ。このホワイト・フローラルのサブジャンル作品は、好みが分かれるかもしれないが、私にとっては心ゆくまで楽しめるものだった。

ホワイトの背景にあるコンセプト。試した瞬間ハッピーになり、明るくて、日々の些末な悩みから解放してくれるもの。香水とは前向きな現実逃避にもなれるのだ。感情面でも大きな助けになるかもしれない。とにかく私は試した途端、満面の笑顔になったわ。エッジの効いた明るさから始まり、ルカ・トゥーリンが言うところの‘露出過度なホワイト・フローラル’の絶壁へと、危険なほどに向きを変えていく。でも、ピュアディスタンスなんだから、崖から真っ逆さまに落ちないってことは確信済み。他の作品同様、実によくできた構成。一瞬たりとも私は疑いはしなかった。ローズ・ド・メ、イリス、ベルガモットと融合した白い花のノートが、近代的なムスクの洪水とともに究極の美を生み出していく。これ以上持ちこたえられないって感じになると、サンダルウッド、トンカ、ベチバーの土台と、パチョリの囁きが現れる。結婚式の招待者たちが、花嫁を肩に乗せて運んでくるような、ウキウキした女性らしいハイ・ノート。最終的に、驚くほど長持ちするフローラルな香水がそこにある。そう、ぎゅっと濃縮された処方ゆえだ。独特の軽さに満ちながらも、初期ピュアディスタンスのスタイリッシュなテーマと重なる。ピュアディスタンス1に近いかも。サラサラと揺れる優しい緑の葉の音は、アントニアを彷彿させる。構造は間違いなくオパルデュウと同じだ。ピュアディスタンスは完璧なものが仕上がらない限り、決して新しい香水は発表しない。ホワイトこそ、仲間に加えられた新星なのだ。」

当然、ホワイトは白いフラコンに入れられ、ピュアディスタンス神殿にするっと居場所を確保したが、やがて当社きってのベストセラーとなる。ヤン・エワウトによると、すぐ品切れになるそうだ。販売担当者たちから何度も聞かされているというが、顧客に最初にホワイトを紹介しないという。試したが最後、他のものが一切眼中にはいらなくなるからだ。品切れになると、新しいストックを作るのに3か月かかる。大量生産はしないし、仕上げも梱包もすべて手作業で、愛を込めてフローニンゲンから発送される。ホワイトを待っている時間もいいものだ。より興味が沸くし、メインストリームものではありません、特別なんですよ的メッセージも伝わる。そう簡単には手に入りません、と。

「きつさのない、驚くほど心地よい香りだ。僕も息子も気に入っているんだ。妻も大のお気に入りでね。我が家では、すぐにホワイトの香りに気づくほどさ。好奇心から1歳になったばかりの娘にも実験してみたんだ(まだ話せないから、余計いいんだよ)。娘を抱っこして、香水のついた手を少しの間彼女の鼻に近づけてみた(息ができるようにね)。どんな反応だったかって?フローラル系パウダリー・ベースの香りを4つ手につけておいたんだけど、一回だけ娘がニコッとしたんだ。わかるよね。ピュアディスタンス・ホワイトだよ!6時間後も香りは特に強くなく、複雑でもない。でも、子供が微笑むくらい、いい感じなんだ(セルゲイ・ボリゾフ(フラグランティカ)によるホワイトのレビュー)。」

4-7 セシルと橋

出張でパリ滞在中、ヤン・エワウトは独立系調香師、セシル・ザロキアンに出会っている。もちろん、香水話に花を咲かせ、即座にお互いを理解しあい、信頼関係を築いていった。そしてピュアディスタンスの次回作を共同制作することになる。

シェイドゥナのパワフルなインスピレーションはヤン・エワウトが大事にしているものだった。チュニジアの砂漠で早朝5時に撮った写真。背後に日が昇ってくる、どことも知れない場所で、スウェーデン人モデルを使い撮影をした。変化していく色、上がっていく気温、モデルの優雅な佇まい、そうしたすべての要素がシェイドゥナには反映されている。独自のヴィジュアル・ポートフォリオの中からセシルが使える写真をまとめて手渡したが、今ではその多くが彼のデザインでハガキにされている。多くの素材を取り上げている写真だが、すべてが何かしらの形でピュアディスタンスに関連している。ヤン・エワウトと家族の写真、旅行中に撮ったもの、スケッチ、イメージ、アート、彼を刺激した様々なもの、香水づくりに影響を与えた絵画、あるいは逆に、香水に影響されたもの。彼は旅行の時はこのハガキを持っていくことにしている。提携している香水店に渡したり、話をしている時や、新しい香水が発表される時、または滞在先のホテルの枕に一枚置いてくる。メイドさんに感謝するために。ポストカードは効果的なアイテムだ。ハガキに映っている対象そのものが、話のきっかけとなり、多くの思い出や記憶をカードに込めて、相手と繋がっていく。この本を書いている時も、私は何百枚もの美しいハガキに囲まれている。いつだって物語を進めていく手助けをしてくれる。行き詰れば、微笑ませてくれるし、アイデアをくれる。ヤン・エワウトがわざわざ私に言わなくてもいいような事まで、いや、彼自身気づいていないことまで、教えてくれたりする。

パリとセシルの話に戻ろう。シェイドゥナは東洋と西洋の間に嗅覚の橋を造る。パリのオートパフューマリーと中東の香水文化の仲立ちをする、そんなアイデアが基盤だった。パリの屋根のてっぺんからアラビアの黄金の砂漠に転がり落ちる香水。地理的にコンセプトを高め、官能的で感情的に深く洗練されたスタイルと融合させる。

最初の話し合いからすぐ、セシルはサンプルを持ってきた。しかしながら、ヤン・エワウトには向かない香りだった。落ち込みもせず、セシルはさらに励んだ。次のサンプルは、ヤン・エワウトいわく、「これなら、いけるかもしれない」的なもので、まだまだ彼が思い描いているものとは距離があった。3番目に登場したサンプルは魅惑的なものだった。「ただ、もう、完璧だったよ。」

個人的に私は、シェイドゥーナは旅の香水だと思っている。旅行中に身につけるということじゃなくて(そりゃあ、つけることもあるけど、そういう意味で話しているんじゃないの)。何か、心の中で旅をさせてくれるような、思い出やファンタジー、白昼夢を解き放つ香り。シェイドゥーナはそういう感じだ。そう感じてるのは、私だけじゃない。ライター、エリーナ・クヴェトコヴィック(ザ・プラム・ガール・ブログ)も同じように旅をしている。彼女のシェイドゥナの旅を聞いてみよう。

「シェイドゥナ。変人村の嫁?デユーン砂漠?誘惑?どこからそんな名前になったの?なぜ?究極のエレガンス。それだけ、いやそれ以上。

今、私の鼻の真下に、ピュアディスタンスの新作、シェイドゥナがある。そそられるわ。優雅なボトル。手の中で、滑らかに重く…どこに連れていってくれるのかしら。ニッチ・ブランド、ピュアディスタンスはいつだって裏切らない。

シェイドゥナに古典的なピラミッドがあるわけじゃない。簡単に要約なんかできない。好きか嫌いかどっちかね。最初は嫌いでも、2時間後、自分のお気に入りにしたくなる。トリッキーよね。とても強くて、気高いの。

会うなら沈黙の中で。東洋的で神秘的に見えるかもしれないけど、冷たくて、よそよそしい。自己満足した第一印象以上に、もっと何かあるってわかるはずよね。二度目に呼吸した時、イメージと香りが頭のまわりで渦巻いていた。抽出された、ちょっとしたものが私の嗅覚の記憶と繋がった…砂漠よ!

突然私は埃っぽいバスに乗っていた。王家の谷に向かって、右に曲がる。古代の石でできた道を通り過ぎ、ハトシェプストの荘厳な神殿に続く階段をのぼっていく。

シェイドゥーナの私の第一印象は、うえっ!また強烈なオルエンタルじゃない!いいえ、そこにタンジェリンとレモン。優しく広がるブルガリアン・ローズ。微妙な、魅惑的な薔薇。長く長く続く。やわらかいアンバーが残る。肌に寄り添う誘惑的な香り。午後の優しい砂漠の砂のような、世界中の匂いがすべて消えてしまう、ただ、日に照らされた砂と岩、空、太陽、自分の肌の匂い、それから風。王様になった女性なら、きっとこういう香りがするだろうって、なぜだか思ってしまう。

ハトシェプストの物語はとても面白い。何がすごいかって、古代エジプト人はすでに現代社会の香水の基盤になっている化学方式や製法を適用していたってことよ。芸術のマスターだったの。

紀元前15世紀に、トゥトメス1世とアーフメスの娘として生まれたハトシェプスト。三人の子供の中でも両親のお気に入りだった。ふたりの兄弟が亡くなり、父も崩御すると、彼女は王座に就くという、ユニークな立ち位置に押し出された。女性のファラオを迎えるというのは前例のないことで、聞いたこともない衝撃だっただろう。彼女は女王にはならなかったのだ。エジプトの王、ファラオとして王冠を戴き、男性の服を着て髭までたくわえ、女性が成し遂げたことのない偉業を達成した。彼女は世界でも最もパワフルで、最新の文明を駆使し20年間国を統治した。平和と繁栄。没薬もふくむ様々なものを交易の素材とした。没薬…この香水にも使われている。彼女が他界すると、後継者は彼女のあらゆる痕跡を根絶してしまった。歴代のファラオと共に刻まれている彼女の名前も削り、肖像まで破壊してしまった。彼女の神殿は現在も残っている。あなたが入ってくるとき、あなたをじっと見つめている。彼女は今でも生きている。その名前は決して忘れられることはない。

ハトシュプスト女王葬祭殿で、香水の香りがするローブを身に纏い階段を見下ろしている彼女が見える。オレンジ色の地平線に、太陽が沈んでいくのを待ちわびながら。ただこの神殿から離れたい、ひとりの女性として。

魅惑的、高貴で、品格のある女王。洗練され優雅。ホットだけど、冷たい。官能的だけど、分別はある。きっと好き嫌いは分かれると思うけど、彼女は自分の世界を支配している。ありがとう。シェードゥーナ。どこに連れていくの?」

期待されていたシェイドゥナは中東で大ヒットとなった。ドバイではゴージャスなダーク・レッドのフラコンが3日で売り切れたという。

4-8 ワルシャワへ愛を込めて

ヤン・エワウトにはポーランドのワルシャワと、何年にもわたり深い繋がりがあった。第一に都市そのものに魅かれていた。大戦前の壮大なワルシャワ。美と独特のスタイルを誇る歴史豊かな都市。一方で、彼にはミッサラ一家との特別な絆があった。ワルシャワの中心部やポーランド各地で、他に類を見ないハイ・エンドな香水店を運営している家族だ。ミッサラ家にはピュアディスタンス創業当時から、独占販売を一任している。数年にわたり、ミッサラ家の女家長、スタニスラヴァ・ミッサラとは懇意になり友達付き合いをしている。営業時間中に豪華な食事を用意しては、何度もヤン・エワウトを招待してくれた。彼女の暖かさ、美しさ、スタイルと品格は戦前のワルシャワが湛えていた優雅さを思い出させる。古い映画で見た彼の好きな佇まいを。この繋がりがやがてヴァルシャーヴァへと発展していった。独特のヴィンテージ感のある香水へと。

再度、フランス人調香師、アントワーヌ・リー(ブラック、ホワイト)と仕事をすることにした。ワルシャワにオマージュを捧げるような香水を作りたい。と同時に、旅の途中で遭遇したファッショナブルで優雅な女性たちにも捧げたい。ヴァルシャーヴァはシックなファッションと香水の黄金時代を誘発することになる。名前はデヴィッド・ボウイ1977年の作品「ワルシャワの幻想」から引用している。彼はボウイにも大きな影響を受けていた。都市が持つユニークな雰囲気を表現するかのように、メランコリーなメロディに乗せて、ポーランドのフォークソングを’感情的、かつほとんど宗教的‘な作品にしているのだ。

スタイルがあり、暖かく、深みのあるキャラクター、豊かな古き時代の美しさを湛えた香水が作りたかった。第二次世界大戦はポーランド人にとって決して癒されることのない深い傷を残してしまったが、それ以前の人々と都市が誇ったグラマラスな美しさを思い出させる作品、それがヴァルシャーヴァだ。

その頃には、アントワーヌ・リーとも旧知の仲だったので、彼のヴィジョンを伝え香水にしていくことは、そんなに難しいことではなかった。コンセプトを的確につかむと、ヤン・エワウトが好みそうなサンプルを引っ提げて戻ってきた。そんな感じで、ヴァルシャーヴァは誕生した。

創業当初からピュアディスタンスに忠実で信頼を寄せてくれた人々に恩返しがしたい。新作をもって、友達に、この都市に、ポーランドの人々に貢献したかった。特に同じ名前の都市に優先権を与えたかった。結果的に当初、世界展開する前の1年間は、ポーランド全土で展開しているクウォリティ・ミッサラ・パフュメリエでのみ販売していた。

ブラック・ナルシスのライターで私の友達、’パフューム:イン・サーチ・オブ・ユア・シグニチャー・セント‘の著者でもあるニール・チャップマンが、ヴァルシャーヴァについて彼の印象を語っている。

「昨年の末発売された、ポーランドの首都を名にした、ピュアディスタンスのヴァルシャーヴァは多くのニッチ香水愛好家たちの間で高く評価されている。高品質、高濃度の香水にはそそられる。沢山のニッチ・ブランドに対して裸の王様的な意見をずらずら並べる連中はいなかったようで、ほっとした。エレガント、円熟、物思いに沈みながらも光を放ち、ヴェルベット的な、1948年のロベール・ビゲ、フラカを思い出させるような、室内向けの香水。重々しい感情的なテクスチャー。チュベローズが長く香るジャスミンに代わり、スティラックス・ムスクが同時にリッチで奇妙なほど心に残る姿へと変化していく。パチョリとベチバー、オリス系のベースが、どこか浮ついたバイオレットとガルバナムのトップに加重していく。まるで床に触れてしまっている緑色の、ヴェルベットのイブニング・ドレスのように。ノスタルジックだけど、多分、時代遅れではない。かなり上流階級の香り。世襲財産は輝きは失っても、伝統は損なわない。閉ざされたドアの背後で繰り広げられるシャンパン浸りの宴、きわめて故意に、先に待ち構える21世紀には繋がりを持たずに。」

ワルシャワには長年にわたって、彼に様々な影響を与えてきたものがある。最高のニュアンスで奏でられるショパン、ノスタルジックで壊れそうな美しさ、シャネルやカルティエの、威厳のある存在感で一貫性のあるスタイルは尊敬に値する。

ヴァルシャーヴァに限らず、香水を生み出していく作業は、彼の好みや人格を形成していく上で影響力のある様々な美について、熟考する機会を与えてくれた。ヴァルシャーヴァのメランコリーな香りを楽しみながら、イタリアの田舎の話や、パリ、哲学や仏教を勉強したこと、音楽、テニスなど、色々なことを彼は話してくれた。何を探求しても、その都度何かを学び、その中から自分自身や周りの人々にとって役にたつものを取り出してきた。そこから生まれた彼のすばらしい結論、毎日を生きていくためのモットー、それはとにかくポジティヴなものに焦点を合わせること、他からのネガティブなものには反応しない。ありのままに。敵は無視する。イライラする戦争には加担しない。理解した上で放っておく。仏教的方法。関係がまずくなる前に離れること。香水を作るということは、芸術的表現法でもある。それでも結局のところ、実用的なのが一番。善良なオランダ人が常にそうであるように、それは人を喜ばせていくことでもあるのだ。うまくいかないことは、ヤン・エワウトはやらない。

ピュアディスタンスの進化はヤン・エワウト・フォスの進化そのものとも言える。不可解に絡み合う、ひとつのものを求めるふたつの何か、徹底的に、時空を超えた美しさ。

4-9 ヤン・エワウトのシグニチャー

ヤン・エワウトは影に潜む黒幕として、常にカーテンに隠れているのが好きだ。スポットライトは彼らしくない。もちろん、必要な時は会社を代表して前に出るが、人々には彼自身についてではなく、彼の作品の話をしてもらいたいという。当初、彼自身の物語とキャラクターに焦点を合わせた内容の本など、ばかばかしくてやっていられない風だった。香水や会社について書いてくれと。様々な出来事の背後にいる人々を取り上げてほしいと。しかし、物語の背景にいる彼抜きでは何も書けないということに気づいていないようだった。というわけで、彼をここまで引っ張り出してくるのは結構大変だった。

しかし、アエノータスのためには、カメラの前に出ざるを得ないとヤン・エワウトは観念していた。アエノータスはとても個人的で、彼のための香水だったので、自分自身で表現するのが最善だと思ったからだ。

香水と切っても切れないヴィジュアル要素のひとつが彼だからというだけではなく、自分自身の言葉で、どのようにアエノータスが誕生したのか語ってくれた。

’アエノータス物語‘

「10年以上前に、私はピュアディスタンスを創設した。今まで作ってきた8つの作品も大好きだけど、コレクションの中に私自身の香りが欠けていたんだよね。だから数年前、2015年に何か作ってみようと思って始めたんだ。

アエノータスという名前が浮かんで、私のシグニチャー・セントを作ってくれないかって、パリでアントワーヌ・リーに依頼した。アントワーヌとはブラック、ホワイト、ヴァルシャーヴァと素晴らしい作品を作れたし、彼なら私が思い描いているものを最善の形にしてくれると思ったんだ。

パリで合流して、アエノータスのアイデアを伝えてみた。最初はフレッシュな香水。でも、その辺にあるフレッシュですぐに消えてしまうものとは違う。そこから官能的で肌に合う微妙な香りに変わっていく。洗練されていて、静かにひとを誘惑していく。即座にその個性を誰かれ構わずさらけ出さない。

かなり複雑な注文をしているのは分かっていた。新鮮さと暖かくて、長続きする官能感を同時に持たせるなんて、凄く込み入った任務だよね。何度も何度も作り直して、約3年かかったよ。賦香率を前例のない48%まで上げたんだ。満足するまではとにかく頑張るしかなかった。絶対忘れないよ。アントワーヌは本当に辛抱強く仕事してくれた。諦めずに、何度も何度も試作品を送ってくれてね。

高濃度にもかかわらず、派手ではない。強めだけどフレッシュなオープニングから、繊細な香りへと姿を変えていく。とても肌に馴染む香水が完成した。そばにいる人だけが、微妙で興味をそそるキャラクターを楽しめるんだ。

なぜ、‘アエノータス’って名前になったのかって? ’オパルドゥ‘みたいにね。私が心に描いていた香水のエッセンスと物語を完璧に伝えている名前なんだ。’アイオロスが吹く風のノート‘って意味なんだけど。ギリシャ神話で、アイオロスは南ヨーロッパに涼しい風を運んでくる神様なんだ。アエノータスにはアエオロスの冷気と、南部の官能的な暖かさが融合しているんだよ。アエノータスっていう古典的な語尾(ラテン語)は、時代の深みと成熟を表現している。

とにかく、みんなにも私同様、アエノータスを楽しんでほしいな。」

アエノータスはクラシックな香水だ。恒久的でエレガント。いつも求めてやまなかった、明確さと潔さが漂ってくる。アエノータスは決して右往左往なんかしない。とてもオープンで、神秘的ではない。あるがまま。でも、とても楽しい感じで。真っすぐで、誠実。深みがあって、しっかりしていて、頼りになる。あれ?私、香水の話をしている?それとも、理想の男性の話?この香水に、彼は深く自分を見出している。私もだ。でもこの男性も香水も、小ぎれいとか完璧とかいうんじゃない。目にした途端、試せばすぐ、より深いものが待っていてくれる。ピュアディスタンスの旅が始まった時、自分自身が香りや文章の世界にここまで晒されるなどと、彼は夢にも思っていなかっただろう。

やってくれて、本当に良かった。

4-10 輝くものすべてが金ではない

今までヤン・エワウトが生み出してきたほとんどの香水は、それほど困難を伴わず誕生してきた。製作過程の後半で、ホワイトを最初からやり直したこともあるが、ゴールドの始まりに比べればそんなもの、なんでもなかった。彼の作品に於いて、ゴールドは必要不可欠な存在だった。ピュアディスタンス・カラーは黒、白、金と決まっていて、前二者はすでに香りとして出来上がっていた。だから、ゴールドという香水は絶対であり、ヤン・エワウトにも大切なものだった。上海の香水展示会で出会ったかなり有名で多産な調香師にも会いにいった。当初、ランチをはさんで意気投合し、ふたりの調香師がゴールド制作に関わることになった。

ヤン・エワウトが思い描くゴールドは、決してギラギラしたものではなく、安っぽくもなく、モンドリアンの絵画のように繊細なものだった。攻撃的でも、生意気でもない。ソフトで控え目。調和のとれた様々なゴールドが、優雅に混ざり合っていく。豊かに、暖かく、バランスよく。

コンセプトの基盤は中国の皇帝だった。壮大な名君が、彼がひとつにしたヴィジュアルと聴覚の概念の中で名演技を披露している。黄金は珍しく高価な資源だったので、香水としてのゴールドの成分も当然、そうあるべきだ。金額は問題ではない。世界中の最高な原材料と成分を使わなくては。アイデアとして、自然とリッチなもの、それでもけたたましく、やり過ぎでもいけない。彼がこの香水に求めていたものは、内なる静寂さ、バランス、安全で、家に帰ってきたような、仏教や道教の感覚に近いもの。

調香師はじっくりと考えてから、ちょうどいいころ合いでサンプルを持ってきてくれるだろうと思っていたが、速攻で試作品を提供されて、ヤン・エワウトは面食らった。数か月間、いくつものサンプルを郵送し続けてくれたが、彼自身が思い描いていたものとは、チームのみんなさえ、関連性を見出せないものばかりだった。1年後、パリのラボを直接訪ねることにした。すると調香師は大急ぎでアシスタントを煽り立てた。物凄い速さと効率で、オプションが出来上がる。ヤンエワウトは困惑した。こういう形で調香師と仕事をしたことがなかったが、彼は常に新しいことに前向きなので、プロセスに添ってみることにした。しかし、提供されたものはどれもしっくりこなかった。どれかサンプルをひとつ選んでくれというプレッシャーまで感じたが、どれになっても違うのではないか。ラボでのセッションを終えてフローニンゲンに戻ると、いくつかのサンプルとじっくり向き合ってみた。何かいやだった。調香師自身は好きだし、尊敬もしているが、これだ!というものがつかめなかった。私も当時のサンプルをいくつか試させてもらったけど、どれも思い出せない。差し障りのない言い方をさせてもらえば、読者のみなさん。一度でもピュアディスタンスの香りを試してみたら、絶対忘れないわよね。ピュアディスタンスの作品は色々あるから、多方面から批判的な意見も出て当然だけど、決して簡単に忘れてしまう香りではないはず。その不快感を真剣に受け止め、彼は友好的に、尊敬を込めた態度でコラボレーションを打ち切った。まだまだ、ゴールド誕生まで道は長い。

時間をかけ、彼は要約したものをさらに整理し、隅々までコンセプトをよりクリアに、豊かにしていった。そして、2つの作品、ブラックとホワイトを素晴らしい形にしてくれた、アントワーヌ・リーに再度依頼することにしたのだ。今更言っても仕方ないが、振り返ってみれば、とても理に叶ったことだった。

アントワーヌ・リーにとって、ゴールドの依頼は完璧なタイミングでやってきた。キャリアのほとんどを会社の意向に添っての制作に注いできたが、今、彼は独立してフリーになっていたからだ。高砂香料を離れた後、厳しい現実が待っていた。しかし、ゴールドのような高価で複雑な香水が作れるなんて、まさに、それは彼の理想そのものだった。業界のつてを使って、最高の原材料を集めると、創意工夫して調合し、家に帰ってきたような感覚、リッチだけど繊細、贅沢だけどもの静か、心地よく、調和がとれ、自然で美しい香水を作り上げていった。

私の友達、ザ・センテド・ハウンドのブロガー、スティーヴン・リントクイストが、ゴールドを美しく紹介している。

「ゴールドは柔らかなハーブとスパイスの効いたベルガモットが突進してきたかと思うと、すぐに自分の肌の上で暖かく融合する。最初のひと吹きで、滑らかな暖かさが、大歓迎したくなる招待状を届けてくれた感じで。まるで身に纏う、そのひとだけのために作られたような香水。一端落ち着くと、ゴールドは平坦になり始める。ベルガモットとハーブがとても軽いラブダナムとジャスミンに道を譲り、平たかったものが丸くなっていく。今、香水は脈打ち、意のままに香りたつ。かなり時間がたつと、ゴールドはドライになり、砂漠のイメージが浮かび上がってくる。この時点で、ゴールドは古代の砂漠から吹いてきた香りを感じさせてくれる。神秘的なスパイスが遥か彼方の地から、風に乗ってやってくる。ゴールドは、まるで、古代の王様たちからのギフトのようだ。」

ゴールドって、私にとっては奇妙なものだわ。本来、こと香水のことになると私は饒舌だ。いい香りは私をお喋りにする。可能な限りの形容詞を駆使して、歌うように話しまくる。何ページでも詩のような感想を書く。ゴールドでもそうなると思ったけど、香りを吸い込んで目を閉じたら、私はニッコリして椅子に座り、リラックスしていた。

そういうこと。言葉なんかいらない。滝のように流れる説明的な散文なんか、お得意の比喩や成分分析とか、何も必要ない。ゴールドは静かだ。沈黙。満足感。完璧な感覚。そう。円熟して、完成していて、ゆったりしている。ぴったりな表現が浮かんだわ:沈黙は金なり。

4-11 ルビコン川を渡って

長い間、ヤン・エワウトの中で温めていたアイデア。子供への無条件の愛を彷彿させる香り。ストルゲー(家族愛)は親身な愛を現すギリシャ語で、C.S.ルイスは最も自然で、慎ましい、親と子の絆の中に見出せる、最も清浄な愛情表現だと述べている。こういう感情をピュアディスタンス11番目の香水で体現したかった。

聖母が赤子を抱いているロシアのアイコンに視覚的に影響され、新しい香水用にヤン・エワウトはポートフォリオをまとめ始めた。ロシアのアイコンはだいたい木に描かれている。教会や修道院、もっと広い場所でもよく絵の具の匂いがする。銅で作られているアイコンもある。ロシアの信心深い家庭では、クラーニス・ウゴールと呼ばれる片隅にアイコンが飾られている。’赤く‘、’美しい‘片隅に。このアイコンは彼がまとめたコンセプトにとって欠かせないものだった。デンゼル・ワシントン主演の2014年映画、’イコライザー‘を見るまでは。残忍な暴力シーンのある映像の中に、このアイコンが登場しているのだ。他の人に同じものを思い出させたくはない。ポートフォリオにしたためていたアイコンは削除された。その代わりに、もうひとつの重要アイテムに焦点を合わせることにした。ルビーだ。ピンク、または血のように赤い宝石。ルビーという言葉はラテン語のRuber⇒赤い、から派生している。暖かく豊かな色。とても高価で、耐久性のある宝石。

暖かく、親密で、個人的、甘さがあり、無垢な愛を香水に現したい。ルビーが醸し出す豪華絢爛な色彩美も兼ね合わせて。香水ができる大分前から、ヴィジュアル的にヤン・エワウトにひらめいた名前があった。ルビコナ。ルビコナには3つの意味があった。

1.赤い色。ロシアのアイコンにとっても大事な要素だ。

2.ロシア語の古代表記で、クラスニー(美しい)、イコナ(アイコン)は芸術のひとつである。

3.そしてルビコン川。ジュリアス・シーザーの軍隊がこの川を渡るのは、終わりを意味する(賽は投げられた!)。

彼はシェイドゥナの作者、セシル・ザロキアンを再び指名した。彼女は彼のためにパリから中東へと嗅覚の橋を造ってくれた。今回は過去のロシアへと繋がる道を探してほしい。まだ皇帝を戴いていた時代。儀式的な壮大さと素晴らしい芸術に飾られた正統派の教会、その絢爛な美しさ。それと同時に、外に向けられた荘厳さには、必ず無垢な、無条件の愛が付随していなければならなかった。セシルがまた橋を造る。

サフルールボンのブロガー、デスピーナ・ヴェネッティはルビコナについて下記のように書いている。

「優しくて外交的な、ピュアディスタンス・ルビコナは肌に触れた瞬間、魂を感じさせる。しっとりとした豊かなパチョリが甘美なグレープフルーツ、マンダリン、ベルガモットと融合し、驚くほど素晴らしいオープニングが始まる。少しだけメタリック、間違いなく赤、開花する薔薇、他の香りを受け入れる準備もできている。アイリスが持つ独特の洗練度、イランイランの肉感的な明るさ、オレンジ・ブロッサムが湛える母親のような心地よさ。この時点で、パチョリは美しい花々がしみ込んだ大地のようになる。シダーウッドの瞑想的なアロマや、樹脂、アンバー系のオーラが、この香水が持つスピリチュアルな面とよく馴染む。美味しくて濃厚なクリーム(リッチなバニラ、ムスク、サンダルウッドのアクセントのおかげ)が、パチョリのチョコレートっぽいニュアンスに取って代わり、長く心地よいホイップクリームのようなドライダウンへと続いていく。素晴らしい香水という以上に、ピュアディスタンス・ルビコナは、コンセプトとしてもルビーの美しさや、象徴、精神的次元を巧みに反映している。美しい宝石で豪華に肌を飾る一方、愛する人の腕の中にいるような安堵感にも包まれる、そんな香水だ。」

4-12 フル・サークル

№12。

一周回って、最後の香り。No.12ついて書いていると、興奮すると同時に悲しくなってくる。結局、何かが終わってしまうのだ。エンディングは上手くできない。お別れ、さよならを言うなんて。言っちゃうけど(いえ、絶対皆さんには言いません)、この本を仕上げるのにどれだけかかったと思う?信じられないでしょうけど。何かを完成させるって、二度と同じことはできないってこと。製作過程には二度と戻れない、もう一度全部やり直すこともできない、ここの単語、そこの単語っていちいち直して、もっとよくなるように、滑らかに、洗練されるように色々いじったり。先延ばしにしたり、怠けてしまった自分をポカポカ殴ることもできない。終わりが近いんだもの。不安もつのるわよ。最後の章節でグチグチいう前に、もう一度スポットライトから一歩下がって、このショーのスターに焦点を当てるわ。香水(そのために、みんなここにいるのよね?ね?)、№12です。

No.12はナタリー・フェストエアの作品だ。地球規模のパンデミックのお陰で1年遅れて、2021年9月に発表された。No.12のコンセプトには、ヤン・エワウトにとって大切な信条が4つあった。持続性のあるデカダンス、美しさ、エレガンス、タイムレス。この4つの原理はピュアディスタンスのDNAに深く埋め込まれている。会社については次の章節でもっと読めるので、一巡を終わらせる大事な最後の香水として、しっかり説明させてもらおう。

ナタリー・フェストエアにとっては、カシミアのヴェイルのように包み込み、神秘的な足跡を残していくような香水を作ることが、長年の夢だった。大手香水企業ジボダンや、シムライズで働いてきた彼女は、現在は独立した調香師だった。パリのモンマルトルにラボを構え、様々な仕事をこなしてきたやり手のビジネスウーマンだ。ヤン・エワウトによると、とても楽しい人で、言葉のセンスも最高でお茶目な面もある。エキセントリックで興味深い、とても率直な人。彼女とならうまくやれる、彼は即座に感じた。一番大事なのは人間関係だ。彼女なら信頼できる。その通りだった。ふたりは初めから意気投合し、作業を開始した。

当時の様子を彼が話してくれた。

「2018年6月5日、ザグレブのラナからメールが来てね。私の親友でバルカン半島でのピュアディスタンス販売を一任している人だ。有名なパリの調香師、ナタリー・フェストエアがピュアディスタンスのために香水を作りたいって言っているって。翌日、ナタリーに電話して、最初のミーティングがしたいので、フローニンゲンまで来てくれないか頼んでみた。6月9日にはナタリーはフローニンゲンで汽車を降りて、中心地にある´教会’本部まで私の車で向かったのだ。みんな大歓迎だったよ。その午後、テーブルを囲んでナタリーが作った11種類の香水をチームのみんなと一緒に試してみた。’ゴールド・タフタ‘というラベルが貼られていて、’洗練された、リッチなシプレの香り‘と書かれた最初のサンプルを試した途端、ネラと私は思わず目を合わせていたよ。互いの目配せで、同じメッセージを交わしていた。「これ、大好き!」

残りの10種類も全員の注目を集めてはいたけど、とても消すことのできない感情を残してくれたのは、タフタだった。」

№12にとって、完璧な候補者が登場した。一周回ってきた円を終わらせる香りが。

「どれもすばらしかったけど、タフタは長続きする香りの記憶を残してくれた。とても忘れられない。何度試しても、初めて体験した時の美しい香りを楽しめたんだ。私にとって、それこそピュアディスタンスだ。長持ちして、リッチで、他とは違う、スタイリッシュで特別、ものすごく個性的。でも、ゴールドとは別のものだった(当時、私たちはまだゴールドを担当してくれる調香師を見つけられていなかったからね)。だから、とりあえずピュアディスタンス・ゴールドのことは忘れて、12種類のコレクション、最後の香水№12に、タフタを採用することにしたんだ。」

長い間、香水のレビューはしていない。知っての通り、まだ人々が一度に140以上のレビューを読み漁っていた頃、私は香水ブログを運営していたんだけどね。この本を読んでいる皆さんなら、もうわかるわよね。大好きだったし、何年も定期的に香水のレビューを上げていたわ。もう、うんざりって日が来るまで。インターネットのネガティヴな面がとても不愉快になったの。不幸なことに、何千ものすてきなものが均衡を保っていても、たったひとつの悪い要素がすべてを台無しにするのよね。だから、個人的にお気に入りの香水を身に纏って、世の中の状態を嘆く以外は、一切香水とは関りを持たないことにして、レビューもやめたの。そういう意味で引退した私を、また現場に引っ張ってくるなんて、相当の香水ってことよ。

№12にはベルガモット、マンダリン、カルダモン、コリアンダー、イランイラン、水仙、ジャスミン、ローズ、リリー・オブ・ザ・バレー、オレンジ・ブロッサム、オスマンサス、オリス・バター、ヘリオトロープ、ヘディオンHC、ベチバー、サンダルウッド、パチョリ、オークモス、トンカビーン、アンブレットシード、アンブロキサン、バニラ、ムスクが含まれている。

「丸く、滑らかで、恒久的。甘い、でも少しだけ。ソフト、優しくて、感動する、よそよそしくなくて、どうぞ、触れて下さいと誘っている。暖かい抱擁。私の好きな残り香。」

以上が№12について、最初に私が感じたものだ。そして数か月が過ぎた。ほとんど毎日№12を纏って、一緒に生活して、私の一部にしてしまった。ここまで私自身に身近になった香水は稀だ。香水の消費に関しては外交的な人間なので、今日はこれ、明日はあれ、また違うものをって感じだった。そんな私が№12一筋の、忠実で情熱的な香水ファンになってしまった。これは問題だ(私って何が問題か即座に判断できる長所があるの。自分の問題点は、ネガティヴなところが私の強さってことかな)。他の香水はどうするの?ピュアディスタンス1も、オパルドゥも大好きで、ここ数年ずっとそばにいてくれたのよ。何もうまくいかない時、いつもそばにいてくれた。なのに不義理ができると思う?古い親友を忘れて、蜂蜜にたかるハエみたいに、№12一筋になるの?一瞬、心の中の困ったちゃんから、一歩離れてみた。バカげてるわ。やっと私は自分のシグニチャー・セントを見つけたってこと。私の香水。香水の旅に出かけたあの頃探していた香りを見つけて、家に帰ってきた。

自分の意見で№12を表現(解剖じゃなくて)するなんて、冒涜よ。あらゆる素晴らしい存在を前に、完璧なものの中から未確定要素を探そうだなんて、無礼で無駄なことだわ。香水を裁いてどうするの。だから、何も手をつけず、そのままにしておくわ。ただ試してもらって、賞賛されて。完璧な光り輝く球体の蜃気楼のように。キラキラと、暖かみがあって、癒してくれる。

何が一番かって、まるで自分のもののように感じるってこと。まるで私自身。それがシグニチャー・セントだと思う。」

●アニー・ブザンティアン

「自分自身を信じること、ユニークになれることには正面から向き合う、直感に委ねる。」一言で言えば、ヤン・エワウトはそういう人よ。ピュアディスタンスとの関係は偶然始まったの。新しく立ち上がった、聞いたこともない会社の為に、香水を作ってくれないかって依頼を受けてね。ちょっと躊躇したんだけど、コンセプトを聞いたら急に興味が沸いてきて。彼のアイデアが持っている二元性は、自分自身のために作ってきた香水にいつも求めていたものだったから。それでこの香水をヤン・エワウトに差し出して、ピュアディスタンス1が誕生したのよ。

次の2作品もそんな感じで。彼の情熱と必死さは伝染するの。もうビックリよ。ある意味、私にぴったりだったのね。驚くほど考え方が似ていたのよ。彼も私も流行のトレンドなんか信じていないし、丁寧に作られた香水こそ、流行を超えていつの世も愛されるのよ。

彼のコンセプトで気に入っているところは、とっても明確だということ。はっきり的を得ていて、いつも写真や絵画、あるいは物語が付随している。彼は自分が望んでいるものを、ちゃんとわかっているの。それって、どんな調香師にとってもかなり魅力的なことよ。

ヤン・エワウトは自身のブランドについて、非常に明確なヴィジョンを持っている。シンプルだけどエレガント。本物の贅沢。そして常に、どんな細部にまで、彼は自分自身に正直なの。

アニー・ブザンティアン、2022年1月

●アントワーヌ・リー

「調香師は常に人生に於いて、何か重要なものを達成している。私とピュアディスタンス、もっと言えば、ヤン・エワウトとの関係はまさしく、そうした経験のひとつだ。香水の確かな価値を感知する、普通の生活の中でも、一緒に活動すると同じ視点で、深い繋がりができてくるんだ。

ピュアディスタンスにとって香水のコレクションは芸術的声明でもある。彼のヴィジョンと作業は、調香師をとても大事にしてくれている。高価でユニークな材料、時には産地限定的な素材を自由に使うこと、彼にとってはいつもそれが最優先だった。だからこそピュアディスタンスはちゃんと評価され、ブランドとして成功しているんだと確信しているよ。生み出してきたものにある一貫した脈絡、ブランドの細部にまで気を配ること、それも大きな要因だと思う。こういう基本的な価値観を理解しているブランドは少ないんだ。あらゆる決定の土台ともなるものだからね。

でも、最も大事なことは、ピュアディスタンスは自分でも誇りに思える作品を、私に作らせてくれた、ということだ。」

アントワーヌ・リー、2022年

●セシル・ザロキアン

「ピュアディスタンスのシェイドゥナとルビコナは本当に楽しかったわ。ヤン・エワウトはとても強力なヴィジョンを持っていて、創造性とクウォリティにはっきり焦点を合わせているの。真剣に共同作業をすることで、信頼も深まり、完璧なバランスが生まれてくる。どの作品も、彼が何を求めているのか最善を尽くしてつかみ取ったわ。彼はいつも余裕をもって、自由に作品を作らせてくれたの。

ピュアディスタンスは会社であり、チームなの。小さいけど、とってもしっかりしている。家族的な雰囲気で、信憑性、情熱、シンプルさが仕事の根幹になっているのね。」

セシル・ザロキアン、2022年1月

●ナタリー・フェストエア

「ピュアディスタンスとの関係はザグレブから始まったわ。高級ニッチ香水店を運営しているラナがピュアディスタンスとヤン・エワウトの話をしてくれてね。絶対彼に会うべきだって後押ししてくれたの。ラナは私が彼の個性と価値観を気に入るはずだって思っていたのね。

ヤンはフローニンゲンの教会事務所に私を招待してくれてね。ほんとに行けてよかった。ヤン・エワウトや彼のチーム、家族、そしてオフィスがどんなに特別か、確かめることができたから。彼らは私がわざわざオランダに持っていった香水じゃなくて、自分のために作った作品にひとめぼれしてくれたの。それが2年間構想を練った、とても特別な香水、No.12になったのよ。

調香師として、時にはじっと辛抱しなくてはならないときもある。2年にわたるパンデミックは3年目に入り、2021年秋に、№12がついに発表されたの。香水コミュニティでも大歓迎されて、とても嬉しかったわ。一般の人々や仲間たちに賞賛されるのって、いつだって胸が熱くなるのよね。

ヤン・エワウトと私は価値観がとても似てるの。私たちは誠実で、情熱的で、香水が大好き。彼は心底優しくて、チーム・スピリットに溢れていて、立派で、お金儲けを自分のゴールだとは思っていないの。他にも羨ましいところがあるわ。娘さんふたりと一緒に仕事ができるなんて。個性豊かなチームもとても大事にしている。

ピュアディスタンスはいわば僻地の会社よ。超高級ブランドをフローニンゲンから立ち上げるなんて、さぞ大変だったでしょうね。でも、その価値はあったと思うの。このチームの一員になれて、本当に誇りに思うし、ハッピーよ。お互いの価値観を尊敬しあえるって、私にとっては、とても意味のあることだから。」

ナタリー・フェストエア、2022年1月

5 The Magnificent XII

毎年夏、ヤン・エワウトは2週間の休みを取り、アナ・マリーとタイに行く。まず、人里離れたビーチでリラックス。それから数日バンコクで過ごす。妻がマッサージを受けている間に、彼は古い書店で珍しい本を探すのが好きだった。それから午後の暑さの中、テニスに汗を流す。やがて、娘たちへのお土産を探しにショッピングに。アナ・マリーの娘にも。このショッピング中に、毎年彼は奇妙な感覚に襲われていた。ものが溢れている。何もかも、もうたくさんだ。この不快感に押しつぶされそうになりながら、どうやったら解決できるか考えてみる。
あるホリデーで、この問題の解決策が浮かんだ。ターミナル21・モールでTシャツを買っていた時、’ザ・マグニフィシエント・トゥエルヴ‘のコンセプトが閃いた。まさしく、その名の通り。
その名前は1960年代の映画「荒野の七人(原題:The Magnificent Seven)」に似ていた。ユル・ブリンナーとスティーヴ・マックイーン主演の西部劇だ。それぞれ個性が全く違う7人の俳優が出演していた。共通点はここまでだけど。

ヤン・エワウトのマグニフィシエント・トゥエルヴは12本の香水が輪を描いている。元々、最後のNo.12が発表されたら、新しい香水の制作はもうやめようと思っていたが、そのアイデアを聞いた私の顔があまりに怖かったので、多分他の人の反応も併せて(いや、ここで自分のことを書けるほど、私は重要な存在じゃないけど、まあ、許して!)彼はもう一度考えて、アイデアを刷新した。年にひとつ、新しい香水を作る。それと同時に一番売り上げの低い香水を引退させる。だから、常に12種類の香水が並んでいるということだ。もっと凄いのは、’引退‘した香水のファンが絶望しないように、会社から個別に直販するということだ。希望者のために、常にストックを倉庫に用意しておくという。(将来的にも、IFRAの規約は’引退‘した香水を販売することに異議を申し立てはしないので)この方法で過剰在庫も持たず、ブランドに’やりすぎ感‘を持たせることなく、彼やチームにとっても新しい挑戦をしていく路線ができていった。12の’キャラクター‘があれば、もう充分だった。本物だし、それぞれの個性が違う。誰もがその差に気づける。中核にある原理は恒久的な美しさと優雅さ。異なる作品が一堂に会し、束ねられると、深みと複雑さが現れてくる。ピュアディスタンスの香水は決してシンプルではない。チープでもいい加減でもない。エレガントで、高貴でさえある。激しい感情が沸き上がり、旅へと誘う。その背景には歴史があり、豊かな経験があり、沢山の命がある。だからこそ、ピュアディスタンスの香水だと、即座にわかるのだ。
ザ・マグニフィシエント・トゥエルヴ・コレクションのアイデアには、すべてが込められている。ピュアディスタンスは完成し、有機的になる。一巡して、もとの位置へと戻っていく。

6 中の人たち、少ないからいい(それ以上かも)

’小さくても美しい‘’そぎ落としてこそ、豊か‘。このふたつのセンテンスはヤン・エワウト・フォスにとって最も重要なものだ。会社にもぴったりな概念だと言える。彼は少ない人数で仕事をするのが好きだった。与えられた仕事を楽しみ、愛してくれる人たち。そこには責任も生まれ、努力した分即座に結果に現われるからだ。自分が何をしているのか、なぜやっているのか、結果には責任が伴うし、そういう立ち位置で働けば心構えも変わってくる。責任を持って仕事をし、やり方も工夫するようになる。数ではなく、質が重要になってくる。ヤン・エワウトは気に入った人だけを集めている。信頼できて、彼同様にブランドに貢献してくれる人だけを。成し遂げたものはみんなで分かち合う。ファン・メールや贈り物も、チーム内で平等に分けている。

‘そぎ落としてこそ、豊か’だけではなく、より重要なのは、’少なくできる‘ことだ。どんどん拡大し、経済的にも膨らみ続けていく世界で、小さいままでいながら、繁栄することは至難の業だ。そうする為には、常に数よりも質に重きを置く。正直言って、透明性と謙虚さが最大の鍵だ。世界中で当たり前のように繰り広げられている仕事のやり方を、ヤン・エワウトはキッパリ拒絶している。他にも道はあるはずだ。彼の成功がそれを物語っている。欲深くない点が成功に繋がったのだろう。もっともっともっと、と欲しがる代わりに、何に於いてもそこそこの量で満足すれば、世界は、もっとマシになるだろうと。言葉だけでなく、実際そのように行動している彼の姿を見ていると、希望が湧いてくる。根がとても悲観的な私に、こうしろ、ああしろと世界は様々なものを無理やり正当化してくる。でもここ数年、私は自分の原理に添って生きているヤン・エワウトを根気強く見てきた。何度も何度も、地位のある人たちに’ノー‘と言う。小さくあり続けるために、管理できるように、ビジネス・ドローンのようにあくせく働く代わりに、’数人の善人‘とだけ仕事をする。そんな風に生きられたら、きっと世界は変わるよねって、思わせてくれる。

じゃあ、彼はどうやったわけ?彼って私たち凡人に比べたら、聖人てこと?ヤン・エワウトは愛と光しか感じないとか。私たちみたいに怒りや退屈なんか、ほとんど感じないのかな?いえいえ、皆さん。彼だってちゃんと感じています。ただその後の対応が違う。放っておくのだ。
彼にとって心の平安を得る鍵は、すべてを経験することだが、すべてにしがみつかない。この禅のような努力で彼を支えているのが妻のアナ・マリーだ。いつも彼のためにそばにいてくれる。それは最初の伴侶、ヤネッテもそうだった。’底辺でハッピーでいること‘と、彼は呼んでいる。そのお陰で何をするにも力を発揮できると。彼のふたりの娘、イリスとタマラが彼の会社で働く道を選んでくれたのも、幸いだった。そうしてほしいとお願いしたわけでもないのに。義務感や経済的問題からそうしたわけではなく、自発的に働いてくれていることが彼はとても嬉しかった。この件についてはもっと話したいけど、’カルマ‘っていう適切な名前がついている次の章節で詳細を語ります。その前に、舞台裏で一生懸命働いている’数少ない善人‘の皆さんを紹介させて!ほとんど女性なんだけど、ピュアディスタンスの底力と言える人々だ。さあ、チームの皆さん、一歩前に!

ピュアディスタンス・チームはフローニンゲンを拠点としている。元教会だった建物だ。国籍も様々で、オープンでフレンドリー、寛容でクリエイティヴな人たちが集まっている。

ネラ・タミステ・ファン・プッテンは会社にとって大切な心臓部だ。エストニア出身で、もう何年もオランダに住んでいる。結婚し、可愛い女の子の母親でもある。ピュアディスタンスの歴史で彼女のお気に入りは、ヴァルシャーヴァ。ピュアディスタンスでの仕事をネラが説明してくれた。

「主に40か国以上の小売業者との連携を担当しています。次々入ってくる注文にも対応して、最新情報も提供し、セールス・トレーニングやイベントのために、各国を訪問したりもするの。展示会ではピュアディスタンス代表として参加するし、会社経営に於ける重責のいくつかをヤン・エワウトとこなしたりもします。様々な役割を経験できるのがいいの。ある日は物流の調達や補給。注文をさばいていく。そうかと思えば、ブランドの登記とか、パッケージング、チームのみんなと倉庫全体の配置換えとかね。時には旅も必要になるから、世界の色々なものに触れられて嬉しいわ。販売業者と仕事したり、オフィス(第二の家って感じ)でプロジェクトに取り組んだり、お客様と対面で私たちのすばらしいコレクションを紹介したり。」

ネラはまさしく、長年にわたってヤン・エワウトの右腕的存在だ。彼女のおかげで気兼ねなく旅にも出られる。無条件に彼女を信頼しているのだ。彼の言葉で言えば、会社にとって、最高の’恩恵‘だという。
イリス・フォスは彼の長女だ。以前はフローニンゲンで働いていたが、現在は恋人のためにフィンランドに移り、リモートで仕事をしている。彼女のお気にいりは、ブラックだ。担当はマルチ・メディア。ソーシャル・メディアも一任されている。またイベントやセールス・トレーニングのため、世界の店舗を訪れている。イリス本人の話を聞いてみよう。

「写真を撮って、編集して、ビデオを作ってウェブサイトに上げる。それで、ソーシャル・メディアで会社がどういう感じで反映されているか管理する。すばらしいチームの一員になれて、すごく嬉しい。クリエイティヴなアイデアって、いつだってポジティヴな挑戦だし、オリジナルな立場でピュアディスタンスのDNAを世界に伝えられるんだよね。旅行のチャンスは絶対逃さない。違う場所に行って、違う人々に会って、そこの食べ物やエネルギーを感じるのって素晴らしいことなんだ。私にとってはユニークで、何物にも代えがたい経験だ。まクリエイティヴであるのと同じように、プロのレベルまで様々な武道を混ぜて練習している。もともと、大のスポーツ・ファンだから。」

2番目の娘、タマラ・フォスはシェイドゥナが大好きだ。彼女はピュアディスタンス本部で、手作業を担当している。

「香水のフラコンとギフトボックスの組み合わせを管理しています。100%完璧じゃない商品があったら、よけておいて、クリエイティヴな方法で利用するの。特別な機会に誰かにプレゼントする、捨てるよりずっといいでしょ。手作りのものって、誰かをハッピーにする
のよね。時々、ウェブサイト用に写真やビデオも作っています。色々なことができて嬉しいわ。オフィスでは退屈な日なんか、全然ないんだから!」

マルレーン・モーレナーはピュアディスタンスで、数多くの美しい肖像画やイラストを手掛けているアーティストだ。

「アントニアのモデルをしてくれという依頼をヤン・エワウトから受けて、初めてピュアディスタンスを知ったの。今まで沢山の撮影をこなしてきたけど、アントニアは違っていた。はっきり言えるわ。ここまで真剣で、自然な美しさを見出せる人に出会ったことがない。
数年後、ピュアディスタンスの制作チームに参加しないかって言ってくれて。今でもこの素晴らしく暖かいチームの一員なの。香水のアセンブルの他に、ピュアディスタンスのアートワークもさせてもらっている。ピュアディスタンスのDNAと私の作風が完璧にマッチしているのが嬉しいわ。
クリエイティヴで繊細な心は一種の恩恵かもしれないけど、重荷でもあるの。何か美しいものを制作しているとき、力が湧くし完璧になれた感じがして、まわりの嫌なものがすべて消えてしまう。その一方で、自分が思うようにいってないんじゃないかってもがいたり、自分を責めたりしてしまう。でも、それこそ、アーティストとして成熟していくために、受け入れていかなくてはならないことなのよね。
肖像画を描くのが一番好きよ。描き始める時、写真をじっと見て、その人の目にフォーカスを当てるの。それから、その人を‘感じて’みる。次に色や花、自然の中にインスピレーションを探してみるの。作業中はクラシック音楽を流すの。落ち着くのよね。写真にこもっているその人らしさに繋がれる気がするの。」

レイチェル・スーモセミトは、製作や梱包を手伝うため、2020年に参加している。その暖かさと親しみやすさを活かして、職場はいつもきれいで、整頓されている。
ロビン・クーピンクは数年チームで働いていたが、タトゥー・アーティストになるために退社している。遺産とも言える美しい肖像画やイラストを多数残しているが、ピュアディスタンス愛好家なら、必ず目にしたことがあるはずだ。

ピュアディスタンス・ファミリーの最も重要なパートとして、世界中のアンバサダーたちを忘れてはいけない。中国にはチー・ワイ・タンがいる。著名な香水コンサルタントであり、インポーターであり、ヤン・エワウトの親友兼仕事仲間でもある。日本にはサチコ・ハタケヤマ。ピュアディスタンスの大ファンだった彼女は今では信頼のおける友達、そしてコラボレーターになっている。バルカン地方にはラナがいる。他にも数えきれない。彼らはピュアディスタンスの美しさを口コミで広げてくれたのだ。こうしたアンバサダーたちや、小売業者に、ヤン・エワウトは心から責任を感じている。彼らのお陰で商品が遜色なく普及していることが分かり、個人的な繋がりが会社そのものを特別なものにしてくれているからだ。
ピュアディスタンスとの個人的な関係や、日本でピュアディスタンスがどのように受け止められているか、サチが話してくれた。

「サチです。大の香水愛好家で、2010年からブログ、ラ・パルフュムリ・タヌ(LPT)を運営しています。東京の会社員ですが、LPTブログでは、クラシック/モダン・クラシック香水について色々書いています。新旧作問わず、ヴィンテージ感のある香水が大好きです。多分、亡き父がシグニチャー・セントとして、シャネル、No.5をいつもつけていた影響が大きいと思います。2012年、ロッテルダムのLianne Tio Parfums(2018年8月閉店)からオパルドゥのサンプルを受け取り、本当にメロメロになってしまいました。あまりに素晴らしかったので、すぐ廃番になっては困ると思い、即座に100ミリのフラコンを購入したんです。自分のブログでも紹介したくて、続けざまにピュアディスタンス1、アントニア、Mも買いました。

2013年始め、ブログで使うため、何かヴュジュアル的なものをもらえないか、カスタマー・サポートに聞いてみたんです。びっくりしたんですけど、ピュアディスタンスの創業者、ヤン・エワウト・フォス自身が山のような写真を送ってきてくれたんです。更に度肝を抜かれたのが、彼は全コレクションまで送ってきてくれたんです!それ以来、新作が出るたびに、ピュアディスタンスはサンプルを送ってきてくれました。でも、サンプルを使い終わった途端、フル・ボトルを買ってましたね。3年間にわたり、ヤン・エワウトやチームの皆さんと仲良くしてもらって、やっぱり直接会ってみたいと思いました。それで、2016年9月14日、オランダに飛んで、フローニンゲンに行ったんです。ヤン・エワウトやネラ、メアリたちが本部で暖かく迎えてくれて、スタッフに紹介してくれました。本当に楽しい経験でした。3ヶ月後、ネラがメールをくれて、東京でピュアディスタンスのイベントをしたいんだけど、手伝ってくれないかって言うんです。もう、喜んで、2017年4月28日、‘ピュアディスタンス・オン・ツアー、トウキョウ’を開催しました。
日本での初めてのイベントの後、定期的にフローニンゲンの本部に行くようになり、チームの皆さんも仕事仲間のように接してくれました。イリス・フォスと私は日本のお客様向けに、新しくウェブ・ストアを立ち上げることにしたんです。2018年にオープンした、ピュアディスタンスジャパン e-storeの始まりですね。日本で注文を受けたら、オランダのピュアディスタンスが直接お客様に香水を発送するんです。東京と大阪でも、定期的にファン・ミーティングを開催しています。だからピュアディスタンスの評判は口コミで広がっていきました。日本では香水の残り香が他の人に迷惑をかけるのでは、という奇妙な風習があって、自宅で身につけることが多いんです。自分のためだけに香水を楽しむっていうか。‘寝香水’とか言っています。

2020年1月、初めてのポップアップストアを東京で開催しました。沢山のピュアディスタンスファンが来てくれましたね。かなり遠方からも。次は大阪で、と準備を進めていた時、コロナがすべてをダメにしました。でも、皮肉なことに、パンデミックのお陰で、実店舗に香水を買いにいけない多くのお客様がピュアディスタンスジャパン e-storeを利用してくれるようになって。その中にはリピーターの人も沢山いて、お気に入りのピュアディスタンスを再度購入してくれました。2021年夏、日本のe-storeは公式に、日本代理店となりました。今では、私がピュアディスタンスジャパンの代表です。No.12の発表と、マグニシフィセント・トウェルヴの完成も併せて、2021年9月28日、ヤン・エワウトの誕生日にですよ。おめでたいですね。私の姉、シズも、ピュアディスタンスジャパンの国内配送担当になりました。チームのみんなが私を信頼してくれて、一緒に夢を担わせてくれることに、本当に感謝しています。結局、私は今でも日本一のピュアディスタンスファンなんです。」

ピュアディスタンスには非常によく練られたポリシーがある。特に持続性問題に関しては真摯に取り組んでいる。’そぎ落としてこそ、豊か‘という哲学は、現代社会に於ける、持続性そのものと言える。特に贅沢品の産業では、ビジネスと環境問題でバランスを取るのは容易いことではない。こうした問題を、ヤン・エワウトは常に意識してきた。彼は更に大きな視点でこの問題をとらえていたのだ(聖人警報!聖人警報!)。

ここに会社概要を紹介しよう。多くの重要ポイントを、適切に要約している。彼らは最初から実行していたので、書き起こすのに10分もかからなかった。最近になって世間が注目し始めているだけのことだ。ピュアディスタンスは、ただ、もくもくと創業時から取り組んでいた。

●倫理ポリシー

我が社は数より質を優先する。正直に、透明性を持ち、謙虚さを大事にする。誰もが個性を発揮し、前向きになれるよう応援する。我が社のモットーは、‘そぎ落としてこそ、豊か(それで充分)’。

●生産ポリシー

我が社は大量販売されているものよりずっと長続きする、高品質のオイルを使った高濃度の香水だけを販売する。結果的に顧客は少しの量だけ使えばいいことになる。購入するフラコンの数も減る(パッケージも減る)。流行は追わず、恒久的で美しい香水を作る。このようにすれば、コレクションの数も少ないままでいられる。時間をかけて香水を作る。妥協して急ぐことは決してしない。平均的に、ひとつのピュアディスタンス作品を作るのに、約2年かける。そもそも無駄でしかない、ちまたに溢れる平凡な香水とは一線を画す。

●資材ポリシー

プラスティックの使用は極力避ける。我が社が使用している材料の95%以上ががプラスティックではない。廃棄物は分別して、街のリサイクル・センターに運ぶ。傷んだ素材や部品は再利用を心がける。最高級品質に達しなかった完成品でも、破棄はしない。当社の考えを理解してくれる人たちという前提で、小売店、家族、友達などにプレゼントする。

●在庫ポリシー

保管数は最小限にする。香水の量も少なく、すべてが手作業故である。本当に必要とされている数だけ、手作業で作る。売り切れないほどの在庫を抱えてしまう卸売業者は利用せず、小売店や顧客へ95%直接確実に届けることで、多くの在庫を持たずに済む。

●財務ポリシー

100%独立企業でいるために(今のところ、成功している)借金はしない。増産を求めるプレッシャーを避けることができ、市場にも不必要な数を出さずに済む。安くても環境に悪影響を及ぼす素材を使わなくて済む。利益の50%以上が会社に再投資され、余剰金は高品質を守り独立性を保つために預金しておく。健康的な金融対策をしていれば、損失が出た時でもポリシーを変える必要はない。

●人材ポリシー

我が社は雇用者を大事にする。可能な限り快適な環境で、最善の道具を使って仕事をしてもらう。

次の章節で、’ヤン・エワウトの世界‘とピュアディスタンスについて、もっと近くで見てみよう。

7 カルマ

会社の背後に込められた魂こそ、世に出されるべきものだ。魂が籠ってないのなら、商品はただのモノに過ぎない。ヤン・エワウトが一番やりたくないこと、それは過剰生産だ。世界はすでにもので溢れ返っている。それでは、ピュアディスタンスの魂とは?ヤン・エワウトとの会話の中に、度々現れてくるいくつかの重要な言葉とコンセプトについて見てみよう。

●贅沢

まず、贅沢ということについて話してみよう。‘そぎ落としてこそ、豊か’という概念とは対極にあるものだ。ミニマリズム、社会意識、環境問題、持続可能性、ビジネスやお金、必要性を必ずしも重視していない産業を語る時、全くそぐわない。私たちが暮らす資本主義の世界で、どうしたらそこまで対極にあるものが、ひとつにまとまるのだろう?贅沢とは珍しいもの、特別なもの、貴重なものの探求だが、ヤン・エワウトにとっては、物欲ではなく、創造することなのだ。持ちこたえる力のあるものこそ、完璧。永遠に失われない美を創り出すことこそ、すべての原動力となったゴールでもある。流行や世間の受け、最新ホット・アイテム・リストなど、超越したもの。どんな芸術であれ、生みの苦しみがあるものの、ヤン・エワウトはあえて香水を作りたかった。遺産を後世に残したかった。贅沢そのものが分極化してしまうものだが、彼が抱いている理想とは違うものだった。バランスとハーモニーこそ、分極化に対する解毒剤であり、そこにこそピュアディスタンスは重きを置きたかった。贅沢と慈善活動は互いに相いれないものなのだ。

●哲学

’カルマ‘と題したこの章は、この問題だらけの世の中にこそ送り出したい、ヤン・エワウトの祈りとも言える。私たちの振る舞い、行い、なぜそうするのか、どうやって、それが問題なのだ。取るに足らないものなどこの世にはない。デタラメだったり、偶然に起きることなど何もないのだ。すべてが関わり合っている。その関わり合いをどう活かし、気を配り、向き合っていくことが重要だという。シンクロニシティー、兆候、直感については、すでに取り上げている。物凄く陳腐に聞こえるかもしれない。(悪い意味じゃなくて、私もかなり気後れしているんだけどね。)ヤン・エワウトは心から自分の本能を信じ、この確信に導かれあらゆる行動を重ねてきている。とても言葉では表せない信念。自分自身に、自分が愛するものに正直でいる限り、偽りなく、しっかりと理解をし、最善を尽くし、バランスを取り続けている限り、彼は決して道を踏み外さない。

ヤン・エワウトは、‘合理性vs直感’という難問と向き合うことが彼にとって重要な基盤になっていると度々語っている。精神科医、イアン・マクギリスト著、‘The Master and His Emissary(主人と使徒):The Divided Brain and the Making of the Western World’(分割された脳と西洋社会構築)。著者は左脳(合理性担当)が私たちの社会を支配し、右脳(直感担当)が一生懸命バランスを取っているという事実が無視されていると強調している。私たちは常に自分の直感に抗い、あやふやにしたり、注意するのを忘れてしまうという。語学や科学という、左脳が先導する行為で世界を管理するのは妄想なのだ。そういうコントロール下から抜け出せれば、人生はもっと楽になる。ヤン・エワウトは常に感覚や直感に従って生きてきた。すべての判断は本能的直感に委ねている。今のところ、満足のいく結果が出ているそうだ。

●バランス

ここでは、バランスはとても重要な言葉だ。お互い健全な関係を保ち、どんどん湧き上がり最善策でさえ無視しようとする誘惑に抗うことこそ、ヤン・エワウトが生きていく上で、とても大事な信念、主義だと言える。良きビジネスマンであり、税金も払い、自ら築いた富を他者と分け合えることを誇りに思う。お金だけではない、幸せもみんなと分かち合えることを。決して口先だけではない。今までの人生ずっと、彼の行動にはこの思考が伴ってきた。
母親に車を買ってあげる時も、真の香水愛好家に素敵な香りを届ける時も、喜びを倍にして幸せを渡していけることを楽しんできた。ただ金銭的なものを広めるだけでなく、他者と分かち合うことで、贅沢な時間も、美しさも、創造性も2倍になるのだ。こうした洞察力は一夜にして生まれたものではない。ここまでくるのに、長い長い道のりだった。エゴを捨て、彼の可能性の領域に横たわる、自分ではどうにもならないものも、ありのまま受け入れてきた。何かを提供する代わりに、耳を傾ける。すべてのバランスを取る。仕事とレジャー、お金を稼いで、消費する。投資して保存する。リスクを冒すタイミングを判断し、安全な道も適宜選ぶ。生きる道に於いてヤン・エワウトにとって大事な本が、Lao Tse著、‘The Tao Te Ching’. (道教の基礎的書物)だった。中国の哲学的、精神的伝統で、自らが立っている道、’道教‘を元に融和を心がけて生きるという信条。すべては’受け入れ‘ってことです。みなさん。

●自由

向こう見ずだった若い頃、太陽の中でゴロゴロしたくて授業をさぼったように、ヤン・エワウトにとって自由は最も重要な価値を持つものだった。好きでもない教育やキャリアにしがみつくのが自由ではない。テニスができるなら、ジョン・フォックス・イメージズを提示価格より安く売ってもいい。何よりもそういう感じの自由。今でもそういう気持ちは貴重だし、大事にしたいと思う。しかし、自由の概念は昔に比べればずっと成熟したものになっている。自給自足の自由、自分のために自分で決められる自由。そうした特権のために、頼ってくれる人たちのために、一生懸命働く。お金は目的のための手段。手段は自由を確保してくれる。

●倫理

欲がなければ、小さくなれる。ちょっとしたお金は稼げるし、満足もできる。利益だけではなく、仕事そのものを楽しむために。成功は満足そのものだ。

オーケイ。みなさん。ここまで読んでくれて、すごいわね!フル聖人モードになる前に警告しておけばよかったわね。今、どんな気持ちになっているか、わかるわよ。過去数年、私も何千回と同じ気持ちになったもの。こんな人間いるの?なんて善良な人なんでしょう、マジで?仏教やバランス、フェルデンクライスや自由について、感情豊かにヤン・エワウトは語ってくれた。私はそこに座っていて、次のごはんのことを考えてる。過剰な社会改良思想の前では、ただの平凡な人間だし。でも、私の嫌味なんか脇に置いて、まあ、時間はかかったけど、結局、彼には納得させられた。とにかく彼には一貫性がある。
それに、彼の言葉だけを鵜呑みにしたわけじゃない。彼を良く知る人たちはみんな、彼は本物だってわかっている。見たまんまの人だって。でも、ちょっと離れてみて、深呼吸して、また我に返るのって必要よね。やっぱり、バランスが大事だもの。ねえ?じゃあ、ヤン・エワウトの肩に乗っている天使を悪魔に変えちゃうぞって、さあ、オチが待ってますよ。オチが。
ここで取り上げるべきものは香水だってこと!それが知りたいだけよね。ええ、私もよ。

ヤン・エワウト・フォスは常に美しさと永遠というコンセプトに興味を持ってきた。ピュアディスタンス創設時期から、世界中で香水こそ、こうしたアイデアの完璧な代弁者になれると思っていたのだ。

「香水以外には考えられなかった。感覚の中に深く埋め込まれているもの。いつも一緒で、身に纏って、自分の行動すべてを包み込んでくれる存在。それがピュアディスタンスのヴィジョンが香水たる所以だね。他のものじゃだめなんだ。」

ピュアディスタンスの香水には男性用、女性用の差別感はない。ヤン・エワウトの哲学は芸術で言うなら、シンプルということ。鼻を近づけ、味わって、目で見て、聞いてみる。そして目を閉じて、自分の感覚を感じてみる。何が聞こえてきても、それが自分にとっての真実。システムや大企業、政治なんかに、何を着るか、食べるか、どんな香水をつけるかなんて決めさせないで。自分で決めて。自分の直感で。
それってすべて別の要素かもしれないけど、香りそのものは最高級のものだってすぐ分かる。初めて鼻を寄せた時、あの即座の感覚。それから時間をかけて姿を変えていくのも同じように大事なこと。肌の上で香水は数分から、数時間へと、生き続ける。
ヤン・エワウトは自社の香水に失敗作は望んでいない。すべて違う。でも、これはこれより優れているとか、そういう問題ではない。虹の色や感情の幅に優劣がつけられないように。どれもが、特別な表現方法で完璧なのだ。それで十分は、ピュアディスタンスにとっては十分ではないってこと。
ピュアディスタンスの香水は大量生産ではなく、手作りだ。世界中の顧客たちへ、愛を込めて梱包され、発送されていく。

8 ゲザムトクンストヴェルク(総合芸術)

ゲザムトクンストヴェルク(Gesamtkunstwerk)は素晴らしいドイツの単語だ。実際、この本は英語で書いているし、大好きな言語だけど、時として、母国語には敵わない単語もある。もちろん、的確に翻訳はできない(だから、始めからドイツ語で書いたの!)けど、個々の芸術の欠片が合成されたっていうか、そうすることで要約以上のものが生まれるっていう意味かな。ゲザムトクンストヴェルクのアイデア。ピュアディスタンス・Ⅰ製作当初から、ヤン・エワウトの心にあった概念だ。感覚的なインスピレーション、ヴィジュアル、音楽、思い出などをまとめ、調香師が新しい香水を完成させる際の補足として提供している。これはピュアディスタンスのイベントでも同じことだ。ヤン・エワウトは様々な感覚表現手段を駆使し、新作発表や紹介イベントを盛り上げている。
香水のために動画を作り、トレードマークのハガキもフル活用し、マルレーンや顧客が描いたイラストも使っている。世界中で、こうしたイベントは大評判だ。
ゲザムトクンストヴェルクのアイデアはもちろん、彼に限ったものではない。彼の永遠のアイドル、デヴィッド・ボウイや、より最近で言えば、レディ・ガガもいい例だ。音楽に限らず、彼らがすることすべてが異なった芸術形態を作り上げていく。その全体像が、ゲザムトクンストヴェルクなのだ。
結果的に、ヤン・エワウトは彼の香水が異なった状況下に晒されるのは好きではない。
デキャンツやその類(香水コミュニティでの節約術。ひとりがボトルを一本買い、小さな容器に入れて多数の人と分け合う)の行為はお気に召さない。儲けが減るからではなく、顧客には完璧な状態で香水を体験してほしいからだ。本来の姿、そのままで。ボトルを持った時の感覚、ヴュジュアル的刺激、ありのままを経験するためには欠かせないものなのだ。
ヤン・エワウトには偶然にもウィーンに友達がいる(彼によると、世の中には偶然なんてないって言うけどね!)。サウス・チロリアンのデザイナー兼アーティスト、ディーター・タルフザーだ。彼は語彙に富んでいて、興味深い思想も持っている。ゲザムトクンストヴェルクそのものだ。ゲザムトクンストヴェルクこそ、ピュアディスタンスだと彼は表現している。

「美については何も知らない。なんにも。でも、感じることはできる。だから香水がしみ込んだ熱い思いを、心から賞讃したくなるんだ。国を超えてコミュニケーションできる新しい言語を生み出したんだね。シンプルなままでいないでほしいな。背後にはものすごく複雑なものを感じるから。」

ヤン・エワウトにとって、会社がすべてにおいて表現している、一貫したメッセージを発信することが大事だった。偶然のヴュジュアルはない。適当な音楽も流さない。脳の直感的な部分にズーム・インして、ピュアディスタンス・DNAが持つ恒久的な美をあらゆるチャンネルを通して送り届けたい。彼が使用するヴュジュアルは自作のものが多いが(彼は今でもかなり多くの写真を撮っている)、その一方でチームが作成したものや、ピュアディスタンスを包み込むクリエイティヴな香水コミュニティによるもの、個々の感性によって表現されたピュアディスタンス感を現すものも活用している。とても直接的で個人的なものだ。それこそピュアディスタンスのゲザムトクンストヴェルクの一部と言える。

9 サクセスストーリー、ピュアディスタンス・スタイル

ヤン・エワウト・フォスについては、長々と語ってきた。本当にもうひと章節必要だろうか?謙虚な彼はノーって言うでしょう。でも、私たちはもっと聞きたいものね!彼のビジネス・アイデアがいかに素晴らしいか何回繰り返したって構わないわ。他の人ができないことがなぜできたのか。お金儲けが最優先じゃないのに、ちゃんとバランスをとって成功している。何度も登場しているけど、彼の哲学、’そぎ落としてこそ、豊か‘‘、’最小こそ、最大の美‘こそ、世界を変えていく鍵だと心から思う。もう、うんざり?まあね。偽善ぽいのはイヤよね。でも、世界情勢を見てみると、私たちがやっていることって、持続可能なものじゃないのよね。終わりのない成長なんて、あり得ない。あらゆる点で、自然に反している。もの凄いスピードで奈落の底に向かっている。だからこそ、ここまで他とは違う、でもちゃんと成功しているものこそ、世間に紹介して、祝福すべきだと思うの。
成功したビジネスマンの人生って、どんな感じ?ピュアディスタンス・スタイルって?彼の生活の、典型的な1日について話してもらおう。

「だいたい8時から9時の間に起きて、15分くらい静かにヨガのような運動をするんだ。冷たいシャワーを30秒浴びて、たっぷりの朝食を、時間をかけて楽しむ。週に1,2件の予定しか入れないから、時計もつけないし、SNSのアカウントも持っていない。キツキツのスケジュールなんか組まないよ。その日、一番やりたいって思ったことから、1日を始めるんだ。朝は大体、ヴュジュアル的なものか、文章を書いているかな。家の中の静かな部屋でやることが多い。スマホを一切使わないおかげで、完全に集中できるんだ。音楽も流さない。鳥の声や、妻とのちょっとした会話くらいかない。それから家でランチをとってから、チームをコーチするためにオフィスに出向いて、数時間過ごす。自分自身の部屋もないし、デスクも持っていないよ。チームのみんなを刺激して、動機づけして、サポートする。私のクリエイティヴなアイデアに対してのフィードバックも聞いてみる。チームのみんなから溢れ出る知性と直感は,大体いつもいい結果に繋がるんだ。この場所は60年間教会として使われ、10年間、バレエ教室だったんだ。精神的なエレガンスさが、今でも漂っているよ!当社で一番大事なのは、何でも分かち合うってことだね。情報も、お褒めの言葉も、新しい発見も、すべてね。

天気が良ければ、テニスでもするかな。週3回はしているんだ。1日中、大きいカップで福建省産のジャスミン・ティーを何杯か飲むよ。夕方は、いつもアナ・マリーが新鮮な素材を使って、美味しい夕食を用意してくれている。1日の話をしたり、世界情勢の話をしたり、ちょっとばかし、ゴシップなんかも話したりする。夕食後はまたクリエイティヴな作業に戻るんだ。夕方の作業が好きでね。あんまり疲れないし。いい映画を見るのもいいね。だから、家にいるときは、ほんとに心地よくて静かな時間を過ごせている。
毎月1週間、小売店や供給元を訪ねて出張するんだ。当然、まったく違う生活になるけど、気楽にやるように心がけているんだ。絶対急いだりしない。時間はいつも自分の味方だと感じているから、神経質になったり急ぐ必要もないだろ?」

理想的~?もちろん、とっても特権的に聞こえる。その通り。まず、自分はずっとラッキーだったと、彼は認める。私たちみんなが、そんなにラッキーってわけじゃないけど。でも、自分自身を楽しんで、ヨガにはまって、新鮮な果物を食べる代わりに、ヤン・エワウトは富を周囲と分かち合い、家族や雇用者のために一生懸命働いている。ここに決定的要因がある。そう!彼は強欲ではないってこと。この本を書きながら、いろんなことを考えてみた。何がヤン・エワウトとピュアディスタンスを特別な存在にしているのか。それって、たったひとつの単語にまとまってしまう。欲。または、欲がない。努力を台無しにしてしまう言葉でもあるのにね!
ヤン・エワウトの秘訣はめいっぱいよりも、少ないもので満足するということ。より少なく。最高業績を上げろって、ビジネス学校で習うわよね。どんどん、どんどんやっちゃいなって。人のお金で投資して、危なくなったらコソコソ逃げる。後始末は人任せ。そしてまた、同じ輪廻を繰り返す。ヤン・エワウトにはすべて無縁なことだ。彼がその通りにやっていたら、とっくに破産していると思う。

日常生活の話を聞いて、どのようにバランスを取る努力をしているか、仏教の原理をどう学んだのか、どうやってすべてを受け入れて、穏やかでいられるのか、何時間も彼と話し合った後、何かをつかみかけた気がした。暗黒部分は全くないの?逆に、ネガティヴな感情も知りたくなったって?こんな天使のような存在って、ほんとに可能なの?だから聞いてみた。彼にとっては難しい質問だったが、様々な欠点について話してくれた。

「欠点…1年に何回か、あれこれ考えすぎて寝られない時があってね。人々と反目したり、忙しすぎたり、細かなことやアイデアがたまりすぎたりして。眠れないのは嫌だよね。そういう時はベッドから出て、全部書き出してみるんだ。そうすると、少し落ち着く。
 人間関係で、正直でい続けることは大変なことだよ。若い頃はよく問題を起こしていたんだ。だから必死に変わろうとした。昔はもっと不寛容な人間だったよ。ワイルドで、むこうみずだったし、妥協もできなかった。年とともにより賢く、丸く、思慮深く、優しくなれるのかな。
今でも自由奔放だけどね。制度とかにああしろ、こうしろって言われるのは嫌いなんだ。だから、クラブとかグループには絶対参加しない。世界一のチーム・プレイヤーとは言えないね。
昔はやり過ぎなほど、エネルギッシュだったね。最近では疲れたら、疲れたって言うようになった。学習できてよかったよ。一人旅も、いい充電になるんだ。誰とも話さない旅を頻繁にこなしているんだけど、バランスを取るには最適な方法だね。庭いじりもいいよ。簡単に人を無視したりはしないけど、ベタベタしたりもしない。自由が好きなんだ。誰かと一緒じゃないとダメとか、そういうのはないね。
物事を変えようともせずに、文句ばかり言う人は理解し難いね。いいアドヴァイスに対して、‘はい’って言っておきながら、トラブルのもとになるような事をついついやってしまうんだから。そういう面では、私は厳しいよ。
物事に対して常に意見を持っている。すぐジャッジしてしまうんだけど、後味が悪いんだよね。時として、優越感を感じてしまうけど、そういう時は1日誰も責めない努力をする。そういうのを日常の修練にしているんだ。大体、無残な結果に終わるけどね。」

あらやだ、聞いてよかった!そういうのが聞きたかったのよ。ね、みなさん、バランスについて、素晴らしいお手本だったでしょ。マザー・テレサ風ヤン・エワウトにはちょっとイラッとしていたし、嫌味のひとつやふたつ言いたくなるわよね。でも、ほら、なんか新鮮な空気って感じ!ヤン・エワウトの人間的な面が知りたかったのよね。進化の中に見出せる美しさ。生まれつき完璧なわけじゃない。今だって完璧じゃない。でも、頑張っている。日常的にできる努力であって、私たちも見習えるものだと思う。
 では、創立者が稼働させるために、どんな努力をしたのか見てみよう。デザインと写真の経験から、ピュアディスタンスに関わるデザインとアートワークは、全部彼自身が手掛けている。包装、写真、フィルム、文章、冊子、写真集、ウェブサイト、全香水のコンセプトを打ち出しながら、すべてこなしている。どのアートワークにもピュアディスタンス・DNAが強調されている。新しいものも、ブランドが持つ根本的な価値観と混ざり合っていく。ひとりの人間からはっきりしたメッセージと、アートワークが生み出されているのだから、ピュアディスタンスが唯一無二の香水会社になったのは、特に驚くべきことでもない。
どのブランドも小売店に、独自の展示場を持っている。ピュアディスタンスを扱う店は、アール・デコ好きのヤン・エワウトに影響され、庭の木陰に佇むような日の光をイメージしている。そういう方法でピュアディスタンス・マスター・パフューム・コレクションを展示するということは、美と品格を常に試されてきたこととも言える。
例えば、ピュアディスタンス・チェスボード・ディスプレイを具体化するのに、ヤン・エワウトは1年かかっている。芸術的なプロセスは大体自宅の小さな部屋から始まる。マック・コンピューター、沢山の紙、美しいペンの数々、ハサミ、プリンター/コピー機は必須だ。
ディスプレィをデザインし終わると、材料を買ってきて、たたき台を作ってみる。体を使って物を作るのが好きだ。両手を使い、切って、縫って、スプレーをかける。コンピューターを駆使した、’オタク‘の偉業と言えるだろう。たたき台が彼のお眼鏡に叶うと、実際に店舗に置ける最終ヴァージョンを作ってもらう製造会社を探すことになる。

世界中で約80店舗だけで販売している、小さな会社なので、大量生産でなくても構わない製造会社が必要になってくる。もっともっとと言うのが当たり前の世界で、最高級の香水を作り、少量のディスプレィやパッケージングを手掛けてくれる会社を探すのは簡単ではない。しかし、辛抱強く探していくと、量より質を重んじてくれる適任者を見つけることができるのだ。
1年に一度、ヤン・エワウトはドイツのガラス会社を訪ねている。新しい17.5mlフラコン用の色味を個人的にチェックしに行くのだ。その後、100ml用フラコンに用いる革を選びに、ベルギーの革専門店にも行く。パリは常に彼の旅のリストの常連だ。調香師アントワーヌ、セシル、ナタリーはみなパリを拠点としている。そして、本の発行の打ち合わせの為、ウィーンにも足しげく来てくれる。今、この本をあなたが読んでいるということは、彼は出版したってことね。
マスターにベラベラ喋ってもらったおかげで、先ほど大収穫だったから、もう一度やってみましょう。ヤン・エワウトのオリジナル音源からです。

成功について:

「今でも子供の目を通して物事を見るようにしているんだ。ピュアディスタンスを扱っている店に行くと、お客さんが入ってきて、うちの香水のどれかを買ってくれる。今でもドキドキするし、私たちが作ったもののために、まとまった金額をこの人は払ってくれるんだって。驚いたりもする。世界中の高級店で、ピュアディスタンスの美しいディスプレイィを見ると、子供のように誇り高くなるんだ。そういう視線でいると、傲慢になったり成功を当然のものだと感じないようになる。両親のお陰で、育った環境とか、周囲の人々がいたから、今この世界が可能になっているんだって、いつも忘れないよ。」

美について:

「取り入れて、もっと大事なのは、再度外に向けていくこと。美とは楽しむものであって、
執着するものではないんだ。’楽しい‘のがいい。’欲しい‘じゃなくて。グラマラスな世界にとって、庭いじりはすごい解毒剤だよ。傲慢になるのが、何より嫌だね。私の人生はいわば、贈り物だ。だから、自信過剰にはなれないよね。」

創造性とデザインについて:

「古典と現代のデザインをひとつにするのが好きなんだ。デザイン面だけじゃなくて。香水も古典的な要素があるけど、近代的でオリジナルなアクセントが伴っている。私としては、恒久的な美を生み出すには、周囲にいつも漂っているものを取り入れるだけではなく、新しい独自の解釈も必要なんだ。とても影響を受けたのが、アール・デコの時代だね。
控え目な優雅さはとても大事な要素だ。一般的に、私は声高に何か言うのは好きじゃない。繊細なのがいい。大好きなものの中にテニスがあるけど、ロジャー・フェドラーのプレイを見れば、最高に優雅なものを感じ取れるよ。赤いフェラーリより、グレイのアストン・マーティンが好きだな。インターネットやソーシャル・メディア文化に触発された昨今の消費具合は、相当過大評価されているね。誰でも、いつでも、大声が出せる。いとも簡単に。でも宿題をしたり、準備したり、調べたり、評価したり、再度取り組んだり、それで精査して何かを世に出すって、全く別の次元だと思う。より内向的な作業かもしれないけど、もっと価値があって、結果的にもいいものが生み出されて、世の中にとってもいいことだと思うんだ。ピュアディスタンスだってもっと急ぐことはできるけど、私たちはやらないよ。」

グラマラスな社会について:

「影に隠れているっていうか。美やファッションがお得意な陰謀やゴシップから離れる。新鮮でオリジナルな視点を持って、’ピュア‘でいるほうが、ずっと私には簡単だな。金持ちや有名人としのぎを削らずにすんでよかったよ。これみよがしに自分の業績をひけらかすとか。最も美しい’ブティック’・パフューム・ハウスを世界中に作っていく。私の旅が何かを証明してくれているとしたら、元々のヴィジョンにすっと忠実であり続けたなら、努力して努力して、自分の信条を決して曲げないで頑張れば、不可能も可能になるってことかな。そうそう、運も強くないとまずいけどね。
もちろん、あちこちで誘惑のドアが開かれて、おいしい話とか聞こえてくるけど、プライバシーには敬意を持つべきだから、そういう話には乗らないんだ。それと、この本では人を傷つけないようにしたよ。何度も騙されたこともあるし、嘘もつかれたり、約束も破られた。どうしてもネガティヴなものに焦点を合わせ続ける世界に反して、私たちはポジティブなものを大事にしている。ピュアディネガティヴルールに、できる限りネガティヴなエネルギーは避けようっていうのがあるんだ。対応する人たちをちゃんと識別することから始まる。だから、こんな小さなチームでも世界を相手に仕事ができているんだ。世の中には物凄い人数を抱えている会社が沢山あるけどね。」

彼らにとって最も重要な要因。ピュアディスタンス・チーム。
「私のアイデアは、ほぼすべてピュアディスタンス・チームと共有されるんだ。彼らのフィードバックとアイデアはとても重要でね。最終デザインも、結果的に一番いい形にまとまるんだ。彼らの努力の賜物として、すべての香水が完成している。彼らの協力は本当に欠かせないものだ。
ひとりでなんでも背負ってしまうのは良くないね。絶えず結果を評価してもらうんじゃなくて、単に結果を楽しみたい。」

ヤン・エワウトはいつも情熱的にチームの話をしてくれる。ひとりひとりが会社にとって欠かせない存在だ。誰もが彼の信頼を得ている。フローニンゲンの本社を離れている間でも、彼の心の平和を保つ、一番の貢献者がネラ・タミステだ。無条件で彼女を信頼し、あらゆる部門で頼りにしている。ふたりの娘がピュアディスタンスで働くと決めてくれたことも、ヤン・エワウトにとって誇り高いことなのだ。ネラ、イリス、タマラがいれば、すべての面でピュアディスタンスはスムーズに前進していけると信じている。ビジネスマン成功物語、ピュアディスタンス・スタイルを語る際に、最後に聞いておかなくては。これだけ哲学的なもの、信条など道徳的ガイドラインを詰め込んでおきながら、モンティ・パイソンのように‘人生の明るい部分だけを見る’という、その間のバランスはいったいどうやって取れるのだろう。ここ数年彼にとって忘れられない話、それ以来、物事をもっと緩くとらえようというきっかけになった話をしてくれた。モスクワでジャーナリストと香水愛好家を前にプレゼンテーションをした時のことだ。身振り手振りで、ポイントをはっきり伝えようと、アイデアについ浸ってしまった。その行間の沈黙の中、後ろにいる誰かが叫んだ。’何、マジになっているの?‘ ヤン・エワウトも含めて、その部屋にいるみんながドッと笑い出した。この質問について、彼は度々考えるという。何をそんなにマジになっているの?彼自身だけでなく、会社の中でもこの言葉にはハッとさせられる。会社を通して、すべての香水コンセプトを通して、人に指をさして何がいいか悪いか叩きつける強情さは避けたほうがいいと、世界に伝えたい。ピュアディスタンスの哲学を宗教にしたり、彼自身が導師になってしまうのも違う。
長い章節の最後に、クリエイティヴな人なら何度も聞かれている質問をさせてほしい。何に刺激されましたか?ヤン・エワウトは何に閃きを見出すのでしょう?

「自然だね。子供がもつ無邪気さ、無垢な動作かな。ココ・シャネルの芸術的視野、反骨精神。フレデリック・ショパンやデヴィッド・ボウイの音楽。フレディ・マーキュリーの声。フランスとイタリア映画。パリという都市。イタリアの’ラ・ドルチェ・ヴィタ‘(甘い生活)。ロジャー・フェドラーの淀みない動き。沈黙。全盛期のローリング・ストーンズが持つ退廃感。グレース・ケリーの優雅でシンプルな美しさ。ラフロイグを一杯。氷なしで。虎の美しさ。視覚的に、運動競技的に。年配の、クリエイティヴな人々の顔に浮かぶ、人生の喜び。アストン・マーティンの遺産と品格。キース・ヴァン・ドンゲンとクロード・モネの絵画。山頂で見る星空。オランダ人らしい分別。クリシュナムルティの言葉。私の両親、祖父母。子供たち。」

バランスのために、ヤン・エワウトは付け加える。

「私独自の浪費法ってのもあるんだけどね。主に芸術面で。それでちゃんとバランスが取れているんだと思う。デヴィッド・ボウイにも影響を受けたんだけど、彼のキャリアと人生でも浪費は垣間見られただろう。ボードレールの’悪の華‘。奈落の底で咲く、最も美しい華。ちょっとの危険は必要だよね。やり過ぎのデカダンスには殺られちゃうけどね。」

ヤン・エワウトとの会話の中で、個人的に私が好きなもの、私の頑固な頭に取り込みたいエッセンスがこれです。

「人生は欠陥だらけだ。何か違うものを求めていると、必ず問題にぶつかる(ええっ、その通り)。最悪で、役に立たない、破壊的な考えは避けられない。そういう思いを止めることはできない。無視しようとすると、余計傷つく。向き合っていくことが大事なんだ。」

深いお言葉。

10 終わりは始まり

物語も終わりに近づき、私はまた足をひきずっている(悲しいけど、それが私)。どうやって、この本を終わらせればいい?
過去20年間、ヤン・エワウトはピュアディスタンスに命を吹き込んできた。ひとりの男の頭にある、ひとつのアイデアが、小さいけど(だって美しいから!)感覚的な喜びを纏う宇宙へと繋がっていく。嗅覚,視覚、触覚を通して、世界中へと。会社の心臓部、フローニンゲンで働く人々、パリのラボで、世界中の香水店のカウンターで、ウィーンのデスクで、相応しいエンディングを探しながら、チラッと未来に目を向けられるように。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が過去2年、この惑星にもたらしたパンデミック。フローニンゲンでも相当な影響があったはずだが、会社としてのピュアディスタンスは、かなり不況に強かった。こんな危機的な世の中になってしまったから、多分、人々はより美しいものを求めるようになったのだろう。近づきやすい方法で、ピュアディスタンスは慰めになるものを提供できている。コロナのお陰で、顧客との新しいコミュニケーション時代が生まれたのだ。ソーシャル・メディアを通して、とてもクリエイティブな方法で人々が参加するようになり、ピュアディスタンスの宇宙にも貢献してくれている。
では、将来的に、ピュアディスタンスは何に焦点を合わせていくのだろう?期待してもいい?最近では、サステナビリティって言葉をやたらと聞くけど。真の先駆者として、ヤン・エワウトはピュアディスタンスが作ったものは何でも再利用できるようアイデアを募っている。箱やフラコンなど別の用途で使えるアイデアをまとめた冊子を出す予定だ。人類が積み上げてきた無駄なものの山に貢献する代わりに、何か役にたつものに再利用してほしい。それこそ、ピュアディスタンスにとって重要なことなのだ。
マグニフィシエント・トウェルヴの輪は一巡した。知っての通り、一年に一本の香水がお蔵へと、‘引退’することになっている。リクエストすれば、いつでも手に入るのだが、輪の中には新しい香水がひとつ入ってくる。次回作のコンセプトは本当に美しく、ピュアディスタンスの宇宙に、手袋のようにフィットするものだ。これ以上は言わない。みんな、素敵な秘密が大好きよね。本当に新作が楽しみだわ。

20年をかけて、ピュアディスタンスの世界は構築されてきた。「神様は世界を作るのに7日かかったけど、私は20年必要だった。」ユーモアたっぷりにヤン・エワウト・フォスは語る。そして現在、会社が筋の通ったメッセージを世界に発信できていることを、彼はとても誇りに思っている。たったひとりから始まったものが、ゆっくりと有機的に、多数の手により、ひとつの宇宙へと発展していったのだ。
誰でも理解できる、識別できるし、とても親しみやすい、それがピュアディスタンス。サンプル・セットからクリスタル・コラムまで、誰でもピュアディスタンスを楽しめる。贅沢とか、お金の問題じゃない。そこにあるのは、美。求めている人には、ちゃんと手が届くから。

以上!

翻訳:ピュアディスタンスジャパン 秋山静子

補足 PD book : Japan chapter 日本語草稿 [英訳用決定稿]

THE STORY OF PUREDISTANCE 2002 – 2022日本語版をお読みくださり、ありがとうございます。

この20年史は、長い年月をかけ、著者であるビルギッテ・エッカーさんとヤン・エワウト・フォス社長が、1冊の記念書籍へとまとめ上げたものですが、その中には、調香師をはじめピュアディスタンスにまつわる人々のコメント、香水ブロガーのレビューが含まれており、膨大な量の草稿を絞りに絞り込んだものです。草稿をそのまま出版したら、たぶんその本は放置に値するほど分厚いものになったと思われますし、草稿の中には「PD book : Japan Chapter(仮称)」として、ピュアディスタンスジャパンができるまでの章もありました。

日本の皆様には、私がピュアディスタンスへ提出した決定稿、日本語草稿(英訳用決定稿)も併せてお読みいただきたく、下記に追記させていただきます。

2022.10.9 ピュアディスタンスジャパン 畠山幸子

日本語草稿(英訳用決定稿)

私はクラシック香水、モダンクラシック香水を厳選して紹介する香水ブログ、La Parfumerie Tanuを2011年に開設し、往年の名香やタイムレスクラシックな新作を中心に紹介している日本のアマチュアブロガーで、普段は市井の会社員である。
亡父がシャネル5番を愛用していたことから、自分も自然と5番から香りの世界に入った愛香家(Perfumophile)で、現在も往年の名香やクラシカルな香りが好きだ。

2012年、故リアンヌ・ティオさんからオパルドゥのサンプルをもらい、懐かしさを伴った優しい美しさに衝撃を受けた。香水の改廃は年々スパンが早くなっており、好きな香水は廃番になる事が多いので、これはなくなっては困ると思い、いきなり100mlボトルを購入した。過去作もサンプルで試し、ブログでピュアディスタンスを紹介する事にした。

ヴィジュアルをお借りしようとピュアディスタンスのカスタマーサービスに連絡したら、返事をくれたのが社長だった。通常、ブランドに問い合わせをすると紹介する作品の写真が数枚もらえるが、何百枚もの美しいヴィジュアルが送られてきたうえ「もう一度じっくり試して書いて欲しい」と、当時の4作品すべての本製品が送られてきて、更なる衝撃を受けた。
その後、ブロガー担当の方から新作が出るたび連絡をいただき、サンプルを使い切る頃にはすっかり香りに魅了され、フルボトルを買っていた。

その後もメールやSkypeなどでチームと話す機会があり、どうしてもピュアディスタンスの皆さんに会いたくなり、2016年9月14日、ピュアディスタンス本社を訪ねるため初めて渡蘭した。本社では社長を含め、ネラさん、メアリさんが親しく接してくれて、倉庫や事務所をくまなく見学させてくださった後、フローニンゲン市内をご案内いただいたり、1日がかりで温かいおもてなしを受けた。香水業界の方と話した事が殆どなかったので、非常に緊張したが、透徹した美学を追求するブランドイメージと、社長や社員さんのアットホームな対応のギャップが大きく、楽しくて話が止まらなかった。翌日、ホテルからフローニンゲン駅まで社長自ら送ってくれて、帰り際の車中、のちのアエノータスとなる香りのコンセプトを語りながら駅に備え付けのピアノでサティのグノシエンヌ第一番などを弾いてくれたのもよい思い出だ。でも、それは序章に過ぎなかった。

訪問から3か月後、2017年4月にネラさんとイリスさんが来日するのでLPTでイベントを主催して欲しいとの依頼があった。当時、私はテーマ別リアルイベントCabaret LPTを定期開催していたので、その一つとしてPuredistance on Tour Tokyoを主催した。ネラとイリスがまだ販路のない日本へ、遠路はるばるオランダから足を運び、私の読者に会ってくれた事は本当に嬉しかったが、二人が日本滞在時、亡父の祖父が敬虔なプロテスタントで、19世紀末に商船を率いて台湾へ渡ったオランダ商人だった事がわかった。両親は生前一度も曽祖父がオランダ人だという事は聞いていなかったので、このタイミングで自分の出自を知るとは、オランダのピュアディスタンスと自分の縁は偶然ではなく、私の曽祖父がを結んでくれて、しかもこの縁を非常に喜んでいるのだと確信した。
その後も毎年本社に足を運び、いつしかチームの一員になっていた。来日時、イリスが日本向けウェブサイトを立ち上げたのが、現在のピュアディスタンスジャパンの前身である。日本語表記ではあったが、実際のオーダーは英語で本社にメールする販売形式で、海外通販や英語でのコミュニケーションに対し強い抵抗感がある日本の購買層には、中々浸透しなかった。そこで、日本の商習慣にマッチした、日本語決済の可能なウェブストアを開設する事にした。イリスと共同で構築し、2018年から運営を任された。在庫販売は行わず、注文はオランダから購入者に直送してもらった。

日本では、輸入代理店を通して販売するのが慣例で、海外の1ブランドが日本に直輸出の窓口を持つ事は稀である。しかも日本の窓口となった私には、今もビジネスをしているという自覚はなく、自分の好きなブランドを日本の香水ファンに知ってもらいたい一心で運営を始めた。運営には、途中から姉も手伝ってくれるようになった。今は、どこの香水店やブランドも行っているが、当時としては珍しかったムエットサービスを行い、全作品のムエットを送料のみで無償販売した。ピュアディスタンスのロゴと商品名を金のスタンプで押したハンドメイドのムエットが評判となり、ムエットからギフトセット、本製品を買ってくれる方が少しずつ増えていった。

日本に輸入代理店のないピュアディスタンスは、製品を日本で手に取るチャンスがないので、LPTでも読者やブランドファンを集めたファンミーティング、Meet LPT&Puredistanceを東京と大阪で2年間で7回開催する一方で、LPTのイベントでボトルを展示し、実際に手に取って試してもらう機会を作った。LPTのイベントでピュアディスタンスを紹介→LPTのリアルイベントに来る読者層は、海外ブランドに詳しく経験値の高い香水ファンばかりで、自分でも発信する場を持っている人が多かったので、彼ら自身の言葉で、いかにピュアディスタンスの香りが好きか語り、口コミでじわじわと認知度が高まっていった。
日本ではクリスマスカードの代わりに、元旦に年賀状を出す習慣があるが、2019年は、春に発売が決まっていたアエノータスのムエットと、社長直筆サイン入りの挨拶状を封入した「アエノータス年賀郵便」を出すことにした。本社から、社長直筆サイン入りのカードを送ってもらい、既存客へ元旦に届くよう準備した。どんなにネットが普及しても、電波では香りは伝わらない。肉筆の添えられた挨拶状に香りのムエットが届く事で、ピュアディスタンスの持つ透徹した美学と人間味に溢れた温かさという一見相反する魅力と、香りが同時に伝えることができた。そして平成天皇が退位する最後の年の元旦という、日本人にとって非常に意味のある日にアエノータス年賀郵便を受け取った方が、感動して一斉にSNSで拡散した。現在も新作が出るたび、この香りの挨拶状を発送している。

ピュアディスタンスの名が一挙に広まったのは、このアエノータス年賀郵便からで、興奮冷めやらぬ5月にヤン・エワウト・フォス社長とイリス・フォスさんがプロモーションイベントの為来日した。各々が熱心な香水ファンである参加者へ、社長の想いをじかに伝える貴重な機会となり、彼らのコミュニティー間へと、自然発生的な販売チャンネルが確立されていった。2020年1月に東京でブランド初のポップアップストアを開催し、これまで日本サイトで買ってくれた方を中心に、ピュアディスタンスのファンが地方からも大勢足を運んでくれて、これからという時に、3月にはCOVID-19のパンデミックが発生し、すべてのリアルイベントが中止になった。しかし、皮肉にもCOVID-19で自由に香水店に足を運べなくなった日本の香水ファンが新たに沢山日本サイトを利用してくれるようになったおかげで、実店舗を持たないにも関わらず、売上が飛躍的に伸びた。その中には、既にピュアディスタンスの香りが、彼らにとってなくてはならない香りに成長し、1本使い切って2本目をリピートする方も少しずつ増えてきた。ピュアディスタンスの香りは、普遍的に美しい香りなので、一度好きになったら、長く愛用できる。だから、リピート購入者が出てきたのは本当に嬉しかった。

一方で、日本のマーケットでしっかり流通できるよう、日本の薬機法に基づき輸入申請を行い、在庫販売をした方が良いと思った。調べていくうちに、法人でなくても輸入販売ができることを知り、自分と同じ情熱で販売してくれる輸入代理店を探すより、自分が輸入販売したほうが良いと思い、社長やネラに相談し、思いを受け入れて頂けたので、2021年半ばから法的手続きを進め、夏には申請が受理され、№12の世界発売を前にピュアディスタンスジャパンは日本における正規代理店となった。

2018年に現在ピュアディスタンスジャパン配送部を担当している姉と本社を訪問した時、ネラが「今、日本にはさっちゃんという大きな点があって、そんな大きな点がもっと増えて、点が線に、線が面になっていくといいな」と言っていた。3年後の今、日本はまさしくその通りになっている。一介のブロガーである私を信頼してくれて、その一助を担えたことは、ファンとして本当に光栄な事だと心から思う。9年前、初めてオパルドゥを試した時の衝撃と感動、初めてピュアディスタンスにコンタクトを取った時のあたたかい対応、そして何より自分は日本で一番のピュアディスタンスファンだという事を忘れずに、ピュアディスタンスジャパンを育てていこうと思う。

PD book : Japan Chapter / English translation

I am Sachi, a perfumophile and an amateur perfume blogger running La Parfumerie Tanu since 2010. I work at a company in Tokyo while I have been reviewing classic / modern classic perfumes on LPT blog. I do love and respect timeless masterpieces and perfumes with vintage vibes, most probably influenced by my late father, who wore Chanel No.5 extrait as his signature scent.

In late 2012, I received a sample of Opardu from Lianne Tio Parfums in Rotterdam. I was really fascinated with Opardu, like a beautiful long gone memory caressing me softly. I immediately bought the 100ml flacon as I was worried if this perfume might have been discontinued so quickly. I also tried Puredistance 1, Antonia and M to introduce Puredistance on LPT blog.

In early 2013, I asked PD customer support if they could provide me with some visuals for my blog. Unexpectedly Jan Ewoud Vos, the founder of Puredistance replied me with bunch of visuals. He also blew me off to send the entire collection in that time to me, mentioning ‘Please try all of the four creations once again for your better reviews. Among the flacons, 60ml Opardu is for your backup’. Since then, Puredistance sent me the sample whenever they released new perfumes. I could not stop myself to buy bottles when I used up their samples.

The lovely communication with Jan Ewoud and his PD team over 3 years made me want to see them by no means. I decided to fly to the Netherlands and visit Groningen on 14 September 2016. Jan Ewoud, Nele and Mary welcomed warmly at the Headquarters and introduced me all over the office like a treasure hunting. After the tour Nele and Mary guided me the city and Jan Ewoud joined us in the evening. In the beginning I felt really nervous as I had hardly met people from perfume brands, but gradually felt relaxed and greatly enjoyed talking with them about perfumes, Japan, myself and whatsoever. Sometimes the big gap between their rare aesthetics for perfumes and friendly warmness even a bit confused me. Next morning, Jan Ewoud picked me up by his car and brought me to Grogingen station. En route to station, he told me about his idea of new perfume, which became Aenotus later. He played Eric Satie’s Gnossiennes No.1 on the station piano when he sent me off to Japan. I spent such a good time with Puredistance, but it was just the beginning of the story…

3 months later, in late January 2017, Nele emailed me if I would host an event for Puredistance inviting my blog readers in April. At the time I quarterly hosted olfactory events entitled Cabaret LPT in Tokyo, so I was delighted to ognanise Puredistance on Tour Tokyo on 28 April. I was truly pleased to welcome Nele and Iris who came over all the way from Groningen and met up with my LPT readers. To be surprised, while Nele and Iris were in Japan I coincidently knew that the grandfather of my father was a Dutchman, a reverent Protesntant preacher who also had a fleet of merchant to Taiwan. I did not know this because my late parents never told me about my great grandfather. I was firmly convinced that he connected Puredistance and me, then he must be glad about the relationship between us.

After the first Puredistance event in Japan, I regularly visited the Headquarters to see the team and they eventually treated me like a Japan team. Before the first event, Iris built up a direct sales webstore called Puredistancejapan.com for Japanese customers as they had not had their agent in Japan yet. When customers wanted to order perfumes, it required them to send an email in English, Puredistance sent back the PayPal invoice. Unfortunately this procedure did not fit Japanese way of order smoothly as many Japanese do not communicate in English, plus some of them are very reluctant to buy something in other currency than Japan yen. So Iris and I decided to build up a new webstore which completely fits Japanese customers using a Japanese commerce platform service (like Shopify), means ‘You can read in Japanese, you can pay in Japanese yen’ – That is the beginning of Japan e-store, which opened in January 2018. When I received an order, Puredistance shipped perfumes directly to customers.

It is extremely rare for a perfume brand outside Japan have a direct agent as they usually find a distributor who sell their perfume in Japan. Still now I do not think I am doing some business, I started supporting Puredistance just I wanted my LPT readers and other perfume lovers in Japan to know my beloved brand. Gradually my sister Shizu became to help Japan e-store. Firstly I made free sets of scented card blotters and gave customers only by postage.
This blotter service is quite popular among Japanese perfume stores now, but back in 2018, it was innovative yet very affordable service for new customers who want to try the whole Puredistance perfumes at home. The original scented handmade blotters with PD logo and perfume names stamped in gold were a good trigger for Japan e-store, customers bought blotters, then Giftset, finally regular sprays and flacons, one by one, bit by bit.

Alongwith the blotter sets, I regularly organised fan meetings called Meet LPT & Puredistance 7 times in two years in Tokyo and Osaka. I also brought the set of bottle decoration to every Cabaret LPT events. Mainly because I wanted LPT readers and new Puredistance fans to see how the actual Puredistance products are beautiful and sophisticated, visuals never tell them all. LPT readers are basically experienced perfume lovers and they have got their own channel to spread how they love puredistance by their own words, so the reputation of Puredistance has grown up by words of mouth.

As a traditional Japanese manners, we send New Year’s cards instead of Christmas cards. In late 2018, I decided to send ‘Aenotus New Year’s greetings’ to the customers of Japan e-store on the New Year’s Day in 2019. Jan Ewoud sent me his signed Aenotus cards, then I set them with the scented card blotters of Aenotus in ‘aenotus-Blue’ envelopes.
The customers nationwide received ‘Aenotus New Year’s greetings’ on the very New Year’s day in 2019. No matter how technology developes, we can not smell the scent on the screen. I could bring Japanese customers both the sophisticated aesthetics and the warm hospitality of Puredistance at once by this scented greetings.
The New Year’s Day in 2019 was very special and important for Japanese as it was the last New Year’s day for Heisei Era, then we welcomed the Reiwa era with our new His Majesty the Emperor in May. So many customers who received the cards were touched and instantly spread them on social media. Thus the brand awareness of Puredistance were remarkably increased since this greetings. Scented greeting card is one of the exclusive service of Japan e-store, I arranged it for other newly launched perfumes such as Gold (Nov 2019), Rubikona (Sep 2020) and No.12 (Sep. 2021).

Just after the new Emperor has ascended and the era was changed to Reiwa, Jan Ewoud and Iris came over to Japan to host Puredistance events in Tokyo and Osaka. Jan Ewoud invited Japan e-store’s customers who are all avid perfume fans and talked about his passion and philosophy for creating perfumes. Through the two precious events, Japanese sales channel spontaneously generated from these dedicated people to their own communities.

I organised the first pop-up store in Tokyo in January 2020. Many Puredistance fans came over to the pop-up, even from far distance cities. When I was about to start another pop-up in Osaka, COVID-19 destored the entire events. However, ironically the pandemic brought Japan e-store lots of new customers like an avalanche. They could not go out to buy perfumes at ‘real’ stores. Among the new customers I found some repeated customers ordered their favourite perfumes again. Someone used up the first spray and refill 60ml, another one ordered as their backups. I realised Puredistance has grown up as the one which they can not live without it. I think it is sort of natural story because any Puredistace perfumes have beautifully timeless characters, never bored once you fall in love. So I was absolutely pleased with the remarkable result.

Meanwhile, I always thought it would be better to find an official distributor for Puredistance in Japan in future. I was also in a dilemma as it was almost impossible to find the best distributor who deserves Puredistance – the one who I can share my love and passion for the brand and sell Puredistance in Japan with pride. I patiently studied the phermaceutical laws for importing perfumes and found out that I could legally import Puredistance through an importing agent. I asked Jan Ewoud and Nele and they accepted my proposal, then we started registration of Puredistace in Japan. It approved in summer 2021, then Japan e-store finally became the official and exclusive agent for Japan and I became the responsible for ‘Puredistance Japan’ along with the official launch of No.12 and the completion of MAGNIFICENT XII COLLECTION on 28 September 2021, the birthday of Jan Ewoud. My sister Shizu became PD Japan hub for local delivery.

When I visited the Headquarters in 2018, Nele once said to me – ‘Sachi, you are a big dot for Puredtance in Japan. I hope we can have more dots like you – then we can connect the dots to make lines, lines will become surfaces to wrap up Japan’ 3 years later, our dream exactly came true like a prediction. I am sincerely grateful for their trust in me and make me a part of the dream, the dream for all of us. I will always remember that I am still the very best fan of Puredistance in Japan ever, that is the main thing.

Oct 2021, Sachi Hatakeyama, Puredistance Japan

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。